表題番号:2012B-206 日付:2013/04/02
研究課題木下犀潭文書の調査研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 社会科学総合学術院 教授 島 善高
研究成果概要
 ①木下犀潭文書の調査研究のため、早稲田大学の島研究室では、2012年7月5日から12月10日まで、月曜日と土曜日、都合21回の研究会を開催、院生たちの協力を得ながら、木下犀潭日記の翻刻作業を行なった。その作業は継続中であるが、取り敢えず完了した部分を後掲の「社会科学総合研究」誌上に掲載した。
 ②木下犀潭日記は以前に全て撮影をしているが、その他の史料はまだ撮影していなかったので、そのために4回ほど熊本に出張し、主として熊本県立図書館所蔵の史料を撮影した。
 ③また木下犀潭の同僚であった辛島多喜次に関する資料も熊本県には存在するので、その史料撮影のために、熊本県の松橋収蔵庫に出掛けた。
 ④木下犀潭は、熊本藩の世子の教育に従事し、また藩校時習館の訓導でもあった。そこで、熊本藩全体の歴史、時習館の制度などについての研究状況を知るため、熊本県立大学准教授大島明秀氏、久留米大学文学部准教授吉田洋一氏にも集まってもらい、最新の情報を提供してもらった。
 ⑤日記の翻刻作業以外に、嘉永年間に熊本で起きた殺人事件「宮川兄弟処分一件」についての文書も検討した。その結果、時習館の教員たちが被害者である宮川兄弟の処分のみならず、加害者安東熊彦の処分を巡って、極めてレベルの高い法律論議を展開していることが判明した。とりわけ木下犀潭は、日本のみならず中国の法律書、判例、そして儒教経典を緻密に分析検討し、その意見は熊本藩政府に採用された。その法律論議の内容は、単に熊本藩にとってのみならず、江戸時代の日本における法律論議としても興味深いものであって、その一端を「法史学研究会」(於明治大学)で報告し、出席者からも感銘された。
 ⑥安東熊彦の子孫が熊本県玉名市におられるので、安東家に出掛け、安東熊彦関連史料を閲覧、撮影した。
 ⑦木下犀潭日記は20年分が残されており、今回の特定課題研究で翻刻できたのは僅か2年分であり、研究は緒についたばかりであるる。今後とも、この作業を継続してゆく予定である。