表題番号:2012B-052 日付:2013/03/30
研究課題16世紀ヨーロッパの文献情報の流通と蓄積
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 准教授 雪嶋 宏一
研究成果概要
 本研究は、16世紀スイスの博物学者コンラート・ゲスナー(Gessner, Conrad, 1516-1565)の初期の代表的な著作である『万有書誌(Bibliotheca Vniuersalis)』(チューリヒ、クリストフ・フローシャウアー印刷、1545年刊)に収録されている印刷書の文献情報を対象として、ゲスナーがどのような文献情報をどのように収集し、どのような方法で収録したのかを明らかにすることを目的とした。
 2012年度の研究では『万有書誌』の本文631葉(1262ページ分)に収録された印刷書の文献情報のうち、A-Iの著者名項目1-474葉(948ページ分)、著者名項目数では全5195名のうち2948名分のデータ入力を完了した。これはページ数では全体の約75%、項目数では全体の57%に当たる分量である。入力済みのデータによってほぼ本書全体の傾向を知ることができる。A-Iまでの著者名項目のうち1031名(項目数の35%)に2347件の文献情報が含まれていたことから、1名あたり約2.3件の文献情報があった。この比率を用いれば『万有書誌』には最大で約1820名の項目に約4200件の印刷書の文献情報が含まれていると推測することができる。
 収録された印刷書の印刷年の範囲は1473年から1545年であった。ゲスナーは1470年代以降の文献情報を収録しているが、1530年代以降の文献情報を主に利用していた。一方、印刷年不明の文献も多数あるが、当時の印刷書にはまだ印刷事項が記述されていないものが少なくなく、ゲスナーも印刷年を知り得なかった。
 抽出した文献情報2347件のうち2249件に印刷地(都市名)が記述されていた。東はコンスタンティノープルから西はリスボンまで、北はユトレヒトあるいはマグデブルクから南はナポリに至るヨーロッパ大陸部の63都市が含まれている。印刷書の点数が多い都市は、バーゼル(698件)、ヴェネツィア(300件)、パリ(235件)、リヨン(196件)、ケルン(190件)、シュトラスブルク(141件)などである。これらは当時の印刷出版の大中心地であった。そして、バーゼル、ヴェネツィア、パリ、シュトラスブルクはゲスナーが実際に滞在したことがある都市である。中でもバーゼルが飛びぬけて多い理由はゲスナーが留学した都市であり、自著を出版していたことと関係があろう。
 印刷業者については、バーゼルではWinter、Petri、Froben、Cratander、Oporinus、Hervagenなどの業者が顕著である。ヴェネツィアではAldusとScotへの言及が多い。パリではWechel、Estienne、Ascensiusなどの有力な業者が言及された。リヨンではGryphiusの印刷書が取り上げられた。ケルンではGymnicusとCeruicornusが多い。シュトラスブルクではRihelとMyliusなどへの言及があるが、目立った業者はない。その他、チューリヒではFroschauer、フランクフルトではEgenolff、アゲノーではSecerius、ニュルンベルクではPetreiusが言及された。
 ゲスナーの『万有書誌』以前に、印刷書について版を同定できるような記述をしていた情報媒体は印刷出版業者が発行する出版販売書目録だけであった。しかし、それらの多くは著者、書名の他に印刷年あるいは判型、または価格などが簡略に記述された程度である。このような不十分な情報しかなかった時代にゲスナーはより一層明確な文献情報を提供するような工夫を行った。彼の書誌記述要素は、著者、書名、印刷地、印刷者、印刷年、判型、紙葉数、内容注記、序文などの引用である。前述のようにこれらの要素が全てについて適用されたわけではなく、得られた情報に則して記述されたとみなされよう。ゲスナーの書誌記述の原則は文献を構成要素の単位で記述することであった。一つの古典作品の著者、校訂者、注釈者、翻訳者などはそれぞれ別々に著者名項目として採用して、それぞれに印刷書の情報を記録した。
 一人の著者の印刷書を最も多数記述した項目を確認することができた。それは以下の3名である。Johannes Oecolampadius(1482-1531)はバーゼルで活躍し、バーゼルで著作の多くが出版された。収録された29点の印刷書は1518年から1544年の範囲であり、印刷地は23件がバーゼルである。判型と紙葉数を記述しているが、内容注記1件、序文の引用6件であり、簡略な記述である。バーゼル印刷書が大半を占めることから、ゲスナーはバーゼルでこれらを参照したとみなされる。
 Augustinus Niphus(Nifo, Agostino, 1470-1538)はパドヴァ大学の哲学者でヴェネツィアから著作を刊行した。収録された27件のうち19件がヴェネツィア刊行書である。印刷者の記述はないが、印刷年と判型が記述され、序文の引用が多数にわたっていることから、現物を参照しながら情報を記録したとみなされる。ゲスナーは1543年に訪問したヴェネツィアでこれらを閲覧したと考えられる。
 Johannes Lodovicus Vives(Vives, Juan Luis, 1492-1540)についてはゲスナーは彼の著述家の評価をしばしば引用している。収録されたVivesの印刷書24件の印刷地はバーゼル11件、リヨン5件、パリとケルンが3件ずつなどである。内容注記と序文の引用はバーゼル刊行書が中心であることから主にバーゼルで情報収集したが、その他の印刷書の情報はパリなどで収集したと思われる。
 16世紀中葉は活版印刷発明から約100年後であり、社会の中で印刷書が増大した時代であるが、印刷書の情報がどのように収集され蓄積されたのかについて事例に基づいて具体的に研究されたことはこれまでなかった。『万有書誌』に収録された印刷書の文献情報を具体的に研究することでそれらが明らかになったと思われる。