表題番号:2012B-025 日付:2013/03/30
研究課題公共性に対する美学的ないし感性論的諸問題の考究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 小林 信之
研究成果概要
本年度はとくに、感情や気分の問題に焦点を合わせた研究をおこなった。その枠組みのなかで、感情や気分の言語性・公共性と私秘性(つまり言語化不可能性、語りえぬもの)というテーマ、さらに語りえないものの表現としての美的ないし詩的表現の可能性について考察した。その際とくに、現象学におけるエポケー概念やハイデガーの情態性に関する分析を取りあげて解釈を加えた。
 感情、情動、気分等々とわたしたちが通常名づけている事柄は、ハイデガーによって存在論的に「情態性」と規定されている。この本質規定の意味をいま一度問い直すことを起点に、それをエポケー概念との連関において検討しようと試みた。そこからさらに、「詩的言語」の問題にも議論を展開させたが、それは、詩的な語りの固有の目標が、情態性のさまざまな「実存論的可能性」を伝達すること(『存在と時間』SZ162)だからである。
 一般に日常世界における気分や感情(たとえば「こわい」という感情)は、間主観的な共同世界における出来事として、公共的な言説によって分節化され理由づけられうるものと見なされる(「恐ろしい犬に出くわしたので、こわかった」等々)。つまり気分的・感情的に開示された世界は、すでに共同的・相互主観的世界であり、いわば「理由の空間」を前提している。したがってさまざまな気分や感情は、日常的なレベルでさまざまに名づけられ、共同的・間主観的な自己理解を伴いつつ言語的に分節化されているわけである。
 だが、こうした日常的レベルでの気分・感情の分析に対してハイデガーは、「不安」や「退屈」の分析を対置し、それがある種公共的な自己理解を絶した、卓抜な開示性であることを明らかにする。つまりそれは、単独化された自己性の開示であり、公共的言語による分節化ではなく、固有で私秘的な自己存在の顕在化である。そしてそのような開示性から、詩や美的経験の可能性も開かれると考えられたのである。