表題番号:2012A-072 日付:2013/04/01
研究課題日本最初の原子力発電所(英国製コルダーホール型)導入過程の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 社会科学総合学術院 教授 有馬 哲夫
研究成果概要
日本が最初に導入したのは、イギリス原子力公社(Atomic Energy Authority)が開発したコルダーホール(Colder Hall)型重水炉だったのだが、事故を起こした福島第一原発の第一号炉、二号炉がアメリカのGE(General Electric)製だったために、日本のメディアは日本が最初からアメリカから原発を輸入してきたかのような報道をした。少なくとも、日本最初の原発である東海発電所がイギリス製コルダーホール型重水炉だったことについて注意を払い、なぜそうなったかについて説明を試みたものはなかった。 
そこで、日本への原発導入史上きわめて重要でありながら、これまで明らかにされることがなかった日本最初のコルダーホール型原発の導入過程をイギリスの公文書からつまびらかにすることにした。
なぜイギリスの公文書なのかといえば、これまで日本の原子力発電導入史の研究は、アメリカ側の資料に基づき、アメリカ側の視点からなされてきたからだ。筆者自身もこれまでアメリカ側の資料をのみ使用してきたため、日本最初の原発の導入過程については十分明らかにできずにきた。
本論ではこのような反省に立って、今世紀に入って機密解除されたイギリス技術省(Ministry of Energy)文書「日本への原子力発電所の輸出」(Export of Nuclear Power Station to Japan)と「東海村」(Tokai Mura)をもとに日本最初の原子力発電所である東海発電所の導入過程に光を当てた。
そこから浮かびあがってきたことは、東海発電所がまったくの欠陥品だったこと、生まれたばかりの日本の原子力産業は大きな教訓を得たこと、初代原子力委員長正力松太郎と総理大臣岸信介ら政権幹部は日本の核武装をも視野にいれたことなどだ。日本がアメリカからしか原発を輸入しなくなってしまったのはこの後のことだ。