表題番号:2011B-331 日付:2012/06/01
研究課題鮮卑慕容部の形成と移動の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 本庄高等学院 教諭 三崎 良章
研究成果概要
 三燕政権の中核となる慕容部を含む鮮卑族の原住地は内蒙古自治区東北部の嘎仙洞付近と考えられるが、拓跋部・宇文部・段部等の他の鮮卑部族との分化と慕容部の形成、また3世紀末以降の慕容部の拠点となる遼寧省朝陽市に至る移動の過程は必ずしも明らかになっていない。本研究の目的は、嘎仙洞から朝陽の間の内蒙古自治区東部で発見された考古資料を用いて、慕容部の形成過程と移動の状況を明らかにすることあった。
具体的な作業としては、まず『文物』・『考古』・『遼海文物学刊』・『内蒙古文物考古』・『北方文物』等の学術雑誌や『青果集』・『遼寧考古文集』・『内蒙古地区鮮卑墓葬的発現与研究』・『鮮卑考古学文化研究』等の論文集に発表された発掘報告等を利用して、内蒙古自治区東南部の赤峰市・通遼市・興安盟等における1~4世紀の鮮卑に関連する墳墓、出土文物のデータベースを構築した。その後、通遼・赤峰に赴き、科爾沁博物館及び赤峰博物館において鮮卑関係遺物の調査を行ない、さらに通遼の科左中旗六家子墓群、科左後旗新勝屯墓群の調査を行なった。
 その結果、大興安嶺山脈西側を南下してきた鮮卑族が、大興安嶺山脈南部で山脈を越え、その東側に移動したこと、またその過程で、おそらく自然環境の相違などにより社会構造が変化したと考えられること等の見通しを得ることができた。さらに赤峰周辺で、そこを原住地とすると考えられる烏桓族との間に共存関係・影響関係を生じたことを慕容部研究として考慮する必要性があるとの認識をもつことができた。
 ただ本研究では当初予定した赤峰の巴林左旗南楊家営子墓群や興安盟科右中旗の北瑪尼屯墓群等の調査が、経費と日程の関係で実現できず、また内蒙古自治区で出土した遺物が多く保存されている呼和浩特市の内蒙古自治区博物館・内蒙古文物考古研究所での鮮卑関係遺物の調査も未着手である。したがって上記の見通しもまだ十分な根拠を得るに至っていない。本研究の成果を踏まえ、2012年度以降にそれらの調査・研究を実施し、最終的な結論を得ることを目指したい。