表題番号:2011B-329 日付:2012/04/11
研究課題現代韓国陶磁器における日本の「民芸」の影響
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 本庄高等学院 教諭 佐々木 幹雄
研究成果概要
 今回の研究は、これまで10余年以上にわたり、調査、研究してきた韓国金海市進礼で展開する粉青沙器(陶磁器)の生産、そしてそれを始めた日本人陶芸家合田好道の波乱万丈なる生涯、また、韓国に渡る前に合田が暮らした民藝陶器の故郷栃木県益子、さらに柳らの展開した民藝論について、最終的な確認調査を行った。
 韓国進礼の陶磁器生産については、現在、当地で作られている鉄分の混じる「コーベクチャ」なる白磁が、これまで考えられていた「高麗白磁」の「高白磁」の意ではなく、鉄分が混じらない純白磁に対し、より古い段階の白磁を意味する「古白磁」であることが判明した。漢字を使わない韓国でのよく間違えるパターンの1つである。この他、現在進礼で使う素地についても、一次粘土であるホワイトカオリン、ピンクカオリン、2次粘土のオブ粘土(山清粘土の一種)、その中間に位置する日本でいう蛙目粘土(ワモク)、さらに韓国伝統の釉薬粘土が、鉄分が少なく青磁や粉青沙器に使う水土、不純物、鉄分が多く腐敗土に近い薬土などについての知見を広めることができた。
 合田好道については、郷里の香川県観音寺市の本家宅を訪ね確認調査をおこなった。その結果、当初の予想とは違い、当時(明治~大正)の合田家は江戸時代から続く旧家で、相当な資産を有する家であることが分かった。筆まめな好道は、戦中から韓国に渡る1970年代ごろまで、しきりに母、兄に手紙を書いた。その資料が現在観音寺に保管されており、これまで不明であった、濱田庄司との接触、そして、益子入りの事情も詳しく知ることが出来た。
 栃木県益子では、合田とともに金海進礼金海窯で仕事をした和田安雄氏を訪ね、金海窯で合田が用いた素地、印花象嵌技法、それに当時のデザインについて確認した。これまで、金海窯の素地については慶尚北道の山清のカオリン、徳山の粘土を用いたとされてきたが、その発見の経緯が不明であった。和田氏からその発見の事情、様子を詳しく聞くことが出来た。また、現在、進礼の陶芸郷で印花象嵌に使われている回転図章が益子の佐久間藤太郎の窯で昔から使われていることも確認することが出来た。さらに、現在、進礼の印花象嵌に盛んに使われている花弁文は合田の頃には使われておらず、この文様は合田後に韓国人陶工の手により使われだしたことが判明し、合田後に見られた日本離れ一例であることを確認することが出来た。
 以上、極めて有効な調査をすることが出来た。