表題番号:2011B-320 日付:2012/02/28
研究課題地名の表象における物語と地理との連関性の考察
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 高等学院 教諭 佐々木 基成
研究成果概要
 本研究では、日本近代文を中心とした物語空間と表象における地名との関わり、地誌学・地理学における場所との関わりを考察した。文学と地理の学際的研究はこれまでもあったが、次の二つの視点から新たにアプローチした。物語世界と現実空間に対する第三項である表象空間との有機的連関と、通時的視点である。本研究では、先学の成果を援用しつつ、この二つの視点からモデルとして柳川を取り上げた。柳川は戦前から北原白秋『抒情小曲集 思ひ出』によって水郷として知られるようになった福岡県の小都市である。明治末期から昭和四十年代にかけての柳川に言及した言辞を網羅的に蒐集するとともに、柳川古文書館にて閲覧することが出来る地元紙『柳河新報』を明治から昭和期にかけて調査した。その比較対象によって、外部によって表象される柳川像と地元の人々による像との差異を分析した。また、柳川市役所観光課から戦前から戦後にかけての観光の実態について伺った。その結果、戦前は柳河と表記された堀割で名高い都市、柳川は白秋が取り上げる以前と以後では、その表象は大きく異なっていったことを考察した。柳川は、異国情調あふれたエチゾチズム・古き良き日本のノスタルジア・そして退廃美という三つの文脈から描かれていくがそれらは、北原白秋の文学的イメージによって多分に影響を受けている。エトランゼが望見するオリエンタリズムに充ちた幻想都市としての柳川と、現地の実態との差異が鮮明になるのは戦後三十年代、福永武彦が柳川をモデルとして書いた小説『廃市』が発表された時期である。観光化と産業化によって堀割の汚濁が進む一方、文学的情調の中で美化されている柳川との相克を考察した。
 これらの考察により、地名を軸に地誌的な情報と文学的表象との有機的な影響関係の、一つのケーススタイディが出来たと考えている。以上の成果を形にすべく論文を執筆中であり、発表する予定である。
 なお、これらの地理と文学の考察のモデル都市として候補にしていた小田原について調査していく中で、関心を抱いた、小田原出身のプロレタリア文学者である津田光造について、派生的ながら論文を執筆し発表した。