表題番号:2011B-292 日付:2012/04/11
研究課題フォークナーの初期詩・短編と文化的制度としての文芸紙誌
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 国際学術院 教授 大和田 英子
研究成果概要
1960年代以降編纂されるアメリカ文学史においてはモダニズム作家と位置づけられるフォークナーであるが、その初期の作品にはロマン主義の影響が色濃く認められる。フォークナーが詩人として出発した若きロマン主義者からの脱皮を図り、モダニストとしての小説技法にたどり着くまでの、スプリングボードとして初期詩作品の見直しが進められる傾向は常にあった。だが、作品そのものにのみ焦点を当てるだけではモダニズムへの飛躍の過程が必ずしも説得力を持たない。今回の研究では1920年代の南部とその社会に限定されることなく自由に作品を発表できる場として文芸誌のみならず総合雑誌にも投稿の場を求めたフォークナーの無名時代の社会背景を考慮にいれつつ、若き文学者の想像力を支えた社会状況を再構築した。
 従来から文学研究においては「芸術性を取るのか社会との関与を取るのか」といった二項対立の図式が踏み絵のように敷かれている。ややもすれば、芸術性を取れば社会変革の意志が成立しない、あるいは、社会改革の意思のある芸術は二流、三流であるといったスローガンにまでなってしまった感がある。そうした観点からみると、ロマン主義の洗礼を受けたフォークナーの初期詩は、社会や政治との関与を是非排除したいと考える批評家にとっては格好の材料であったといえるであろう。確かにその詩の世界は牧歌的であり神話世界に通じるものであり、ひたすら美を賛美し志向していると表面上は受け取ることができる。だが、ポストコロニアリズム理論の到来を待つまでもなく、こうした表面上の表現の下には、パリンプセストさながら、当時の社会情勢が配置されていた。実際、こうした詩作品や初期の習作が投稿され掲載された雑誌媒体は、当時の社会状況に批判的に対峙していた。個々の記事が次から次へと世界情勢を論じる隙間に、フォークナーは投稿の場を見出していた。こうした雑誌媒体は、記録文書として扱われるにふさわしく、そうした背景に囲まれたテクストとして、フォークナーの初期詩も読み直しを意図する時期に来ている。