表題番号:2011B-272 日付:2012/05/04
研究課題多現場から構築されるガリシアの地域社会:ウジョア地域の民族誌
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学学術院 准教授 竹中 宏子
研究成果概要
(1)研究目的
 ガリシアは、19世紀末から20世紀にかけてスペイン国内外に移民を多数送出した歴史をもち、「移民」はガリシアを象徴する要素ともなっている。「ガリシアは外部からつくられる」(Murado, M.A., 2008 "Otra idea de Galicia", Editorial Debate)という歴史家の言葉からも、流出した移民がガリシア社会に与える影響の大きさがみとめられる。報告者がこれまで調査・研究してきたウジョア地域(comarca de Ulloa)においても、域外で暮らすウジョア地域出身者との関係が何らかの形で維持されている事実が見て取れる。では、その関係はガリシア地域社会の形成にどのように関わっているのだろうか。
 本研究では、このような移民との関係の歴史と現状を明らかにし、それらをウジョア地域の民族誌の中に組み入れる試みを行う。そこでは多現場的なフィールドワークから、域内および域外の人びとのアイデンティティのあり方を考察したい。なお、ウジョア地域出身者も世界各地に暮らしているが、今年度は国内に移民として流出した人びとを対象とし、移民先も特にウジョア地域の中心地パラス・デ・レイ(以下、パラスと称す)出身者が多く移民したと予測されるビルバオに限定した。

(2)研究成果
 夏期にパラスにおいて、春期にビルバオにおいて、それぞれ短期でフィールドワークを行い、主にインフォーマントの生活圏とその外とのつながりについて聞き取り調査を行った。可能ならば、出身地を出た経緯や、目的地を選んだ経緯なども尋ねた。それらを基に、現時点で次の特徴を抽出した。
 ・かつて移民として域外で生活し、現在パラスで農牧業を経営している住民の中には、都市的な生活を良いものとする態度、つまり、生活水準が高いとする態度がみられる。
 ・パラスでは、夏季休暇の頃にかつての流出移民(家族や親戚)を多く受け入れる。そのため、歓迎する一方、「休暇時だけの住民(domingueros)」と呼び、同じ地域出身者とは厳密には一線を画す態度が見受けられる。
 ・ビルバオに渡った移民第一世代とそれ以降の世代では、ガリシアに対する距離感が異なる。パラスとの関係性、すなわち親戚同士の行き来も、基本的に第一世代が中心になっているので、第二世代以降はその関係性は希薄化する傾向が強い。
 ・ビルバオへの移民第二世代の中には、ガリシア人としてのアイデンティティよりも、「ポルトガレテ*の住民」「バラカルド*の住民」、すなわち住みなれた土地の住人としてのアイデンティティをもつ者も少なからずいる。
*Portugalete/Barakaldo:ビルバオ郊外の工場地帯で、多くの移民が住む地域。

 かつてビルバオ郊外を中心に栄えた軽金属業は現在では衰退し、1990年代後半以降は、ガリシアからの移民の流入もほぼ止まっている。このような状況において、ガリシア域外でガリシア人としてのアイデンティティを敢えて確認できる場所は、県人会に似た性格をもつアソシエーションであろう。そこではガリシア特有の踊りや音楽を習うこともでき、ガリシア料理に触れる機会もある。だが、それらアソシエーションの活動も、ガリシアの特徴を強調し、他との差異化を図るものではなく、異なる文化や人びととの交流を目指していることが調査からわかった。少なくともこれらのアソシエーションからは、ガリシア移民が、移民先に根づき、他の文化と共存しながら(異種混淆という形で)、新たにその土地の人間としてのアイデンティティを構築しようとする意思がみとめられる。
 これらの調査から、当初、強力と考えられていた流出ガリシア移民の影響が薄れている現状が捉えられ、それは従来とは異なる形でガリシアに住むガリシア人のアイデンティティのあり方にも変化をもたらしていると考えられる。

(3)今後の課題
 今回の調査の成果を、ガリシアの外に住むガリシア人の現状とそのアイデンティティの変化としてまとめる必要がある。そこでは、今回入手できた工業都市としてのビルバオの歴史に関する文献と対照させながら、まとめていきたい。その上で、ガリシアの外に住むガリシア人(パラス出身の流出移民)をウジョア地域の歴史の一部として、民族誌における位置づけを検討し、他の調査の成果も入れながらまとめていきたいと考えている。