表題番号:2011B-075 日付:2013/05/14
研究課題『留東外史』に関する研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 商学学術院 准教授(任期付) 中村 みどり
研究成果概要
 中華民国初期の通俗小説のベストセラー『留東外史』シリーズでは、日本を舞台とし、中国人男性に憧れる「奔放な」日本女性が複数登場するが、これらの描写は日中関係の悪化する1920年代中国において読者の好評を博した。小説の題材、および読者の受容の社会的背景を幅広く考察するため、上海の代表的な新聞『申報』のデータベース(早稲田大学図書館の学術情報検索)、上海図書館の民国期の雑誌新聞のデータベースなどを用いて、1910-1930年代の中国における日本女性に関わる言説を調査した。
 調査の結果、ハリウッド映画『マダム バタフライ』(1932年)が1933年に上海で上映され、1930年当時の中国の観客の間では、同映画の「アメリカ人男性に棄てられる」日本人女性像を通して、一つは中国人の観客がアメリカ人男性に自己を重ね、「中国を圧迫する」日本を見返すという視点、もう一つは中国人観客が「憐れな」日本女性に同情を抱き、日本に対して親近感を覚えるという視点から娯楽映画として歓迎を受け、ロングランを記録していたことが指摘できる。一方、同映画が日本ではどのように受容されていたかを読売新聞のデータベース(早稲田大学図書館の学術情報検索)、映画雑誌などを用いて調べた。大正期の日本では、オペラとして入ってきた『マダム バタフライ』は、むしろ列強の欧米の視界に日本が入り、かつ日本のプリマドンナの欧米への進出の足掛かりとなった物語として受け止められていたが、日本の対中国侵攻がすすみ、欧米の日本への圧迫が増す1930年代になると、『マダム バタフライ』のオペラ、そしてハリウッド映画を「国辱」と捉え、日本人の手で作成し直す計画が提唱されていたことがわかった。
 さらに香港電影資料館で、1950年代の香港映画、上記の『マダムバタフライ』の香港版『蝴蝶夫人』、やはり中国人男性に憧れ、別れを余儀なくされる日本人女性の姿を描いた『桜都艶跡』などの映像資料に目を通した。中国語圏では、文字のみならず映像の世界でも、日中関係を描く際に「日本女性像」という記号を多用していることを知るに至った。近代以降の日中関係において、いずれも「強国」であるヨーロッパ、あるいはアメリカを介在させ、自己の位置を高めようとする文芸作品が生産されてきたことは、今日にもつながる問題であり、今後も多様な方面から考察をすすめたい。