表題番号:2011B-046 日付:2012/04/13
研究課題近世日本におけるキリシタン禁制政策と異端的宗教活動の横断的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 教授 大橋 幸泰
研究成果概要
 筆者はここ数年、近世日本におけるキリシタン禁制政策のもとで潜伏状態にあったキリシタンや、本山から異端視された隠し念仏などの異端的宗教活動を横断的に検討する必要性を痛感し、継続してその考察を進めている。本年は特に、肥後国幕府領天草と肥前国対馬藩田代領における村社会の宗教情勢と異端的宗教活動について検討し、その成果を発表することができた。その結果、以下のような見通しを得ることができた。
 潜伏キリシタンを含めた異端的宗教活動が問題化するのは、多くの場合18世紀末以降であるが、それらはそれよりずっと以前から活動しており、「切支丹」と異端的宗教活動とが接近していったのは、それだけ治者による異端的宗教活動への警戒が強まったということである。それこそが当該期、既存の世俗秩序が動揺していることを示しているが、それでも、潜伏キリシタンとほかの異端的宗教活動との間には表面的には明快な差はなく、それが異端的宗教活動の範疇に留まる限りにおいては「邪」である「切支丹」として処罰されなかった。浦上崩れ(四番崩れを除く)・天草崩れにおいて、潜伏キリシタンが「切支丹」と見なされなかったのは、少なくとも表面上は幕藩体制のもと世俗秩序にしたがって生活を営む普通の近世人でもあったからである。
 藩にとって「邪法」とは「切支丹」のことを指すことは明らかであるが、ここで重要なのは、疑われている法儀が実際にキリシタンであると藩当局は考えていないにも関わらず、「切支丹」がいるのではないかとの評判が立つことを極度に恐れていたという点である。「切支丹」が領内に存在するという噂が立つことは、藩にとってたいへん不名誉なこととして認識されていたという事実は、近世の治者の条件の一端を示しいるものして注目されよう。
 異端的宗教活動を求める民衆の宗教観念については、19世紀に登場する民衆宗教を視野に入れ、それらを横断的に検討するべきである。今後の課題としたい。