表題番号:2011A-830 日付:2012/04/13
研究課題20世紀前半におけるフョードロフの影響史
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 助手 小俣 智史
研究成果概要
 本課題の目的は、20世紀前半におけるフョードロフ受容の状況に光を当て、フョードロフの思想が思想家自身の死後どのような文脈で現れ、評価されてきたのかを整理し明らかにすることにあった。フョードロフの死後、その思想の擁護および普及活動を担ったН.П.ペテルソンは1910年代中頃からЕ.Н.トルベツコイやС.А.ゴロヴァネンコと論争を行い、その結果、伝統的キリスト教理解との齟齬、極端な理性主義的傾向などがフョードロフの思想の抱える問題として露わになった。しかし、こうした傾向での批判は革命後、20年代に入ると新たな傾向に取って代わられる。この傾向は10年代にすでにС.Н.ブルガーコフなどのフョードロフ論によってその萌芽を見せていたが、それを明らかなものとしたのはハルピンで活動したН.А.セトニツキイであった。セトニツキイは20年代末にユーラシア主義左派へと接近し、当時焦眉の問題であったマルクス主義を克服するための思想としてフョードロフを紹介した。このときフョードロフの思想は、10年代に批判を受けた人の手による内在的・物質的な復活説などではなく、世界に対する人間の働きの能動性にその主眼が置かれ、10年代にゴロヴァネンコらにより伝統的・正統的なキリスト教理解の立場から批判を受けたにもかかわらず、キリスト教思想として扱われた。このことは、見方を変えれば、マルクス主義を比較対象とすることにより10年代の批判を乗り越えようとする狙いに基づくものであったとも考えられる。
 今回の助成により、20世紀前半におけるフョードロフ思想の受容には上述のような画期が存在し、その評価は時代背景に左右されてきたことが明らかになった。このことは近年の「ロシア・コスミズム」におけるフョードロフ論をはじめとする既存の研究において十分に考慮されているとは言いがたい。ゆえに、この画期をふまえることでフョードロフ研究に新たな視座をもたらすことができると思われる。今後は雑誌論文や博士論文の形で今回の成果を示していくことになる。