表題番号:2011A-829 日付:2012/04/13
研究課題人口妊娠中絶体験言説における「選択」と「責任」の意味-胎児の人間化との関連で
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 助手 熱田 敬子
研究成果概要
 特定課題助成を受け、昨年度はインタビュー調査を進めるとともに、引き続きHPの言説分析を行った。ベックらの個人化論の知見を元に、主として生殖に関する決定/選択の問題を考察している。
 インタビュー成果は現在テープ起こしをし、分析中で今年度学会発表や論文にまとめることを目指す。
HP言説分析の成果として、生殖の負の経験である中絶においては、社会資源の有無や周囲との権力関係で中絶が決定されているが、それを後付で中絶した女性が自らの選択としてひきうけるという体験の語りが行われる傾向がある。この語りは男性パートナーや、周囲の中絶に関する責任を免責し、不可視化するが、同時に女性に対するエンパワメントとしても機能している。
 中絶のたちなおりの語りは、「中絶は自分で選んだこと」という語りを採用することからはじまる。中絶を自ら選択したと語ることは、胎児を自ら「殺した」という認識と結びつきうるため、通常は中絶への罪責感を増すのではないかと想定される。
また、「選択」の語りと同時に、女性たちは中絶選択時に主体性を発揮できなかったとも語る。しかし中絶は女性の選択ではない、あるいは選択肢などなかったというような異議申し立ての言説に対して、負のサンクションが働き、中絶は女性の選択であったというマスター・ナラティヴに回収されていく。この二つの語りは、一見矛盾しているが、女性の生殖における主体性の状況を端的にあらわしており、後者はサンクションを経て「選択」の語りに回収されていく。
「選ぶ」行為は、自由な主体による「自己決定」とは異なり、中絶後に後づけで解釈されている。それは押しつけられた「選択」をあえて引き受けることで、自らの人生の「夢」(職業達成)や「幸せ」(愛情ある関係)を選び取り、中絶において抑圧された女性の主体性を取り戻す試みだ。だが、「夢」や「幸せ」が達成できていないと判断された時、このストーリーは罪責感をあおるものとなる。
成果は論文にまとめ、雑誌『ソシオロゴス』に発表した。