表題番号:2011A-822 日付:2014/03/29
研究課題保渡田古墳群出土埴輪の基礎的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 専任講師 城倉 正祥
研究成果概要
 本研究では、群馬県高崎市に所在する保渡田古墳群から出土した埴輪の分析を目的とした。保渡田古墳群は、古墳時代中期の5世紀後半に築造された二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳で構成される。当該時期は、埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した「辛亥銘鉄剣」に認められるように、「ワカタケル大王」すなわち雄略朝にあたる。雄略朝は大和王権の列島規模の地域再編が進んだ時期と近年の研究では考えられており、この時期の地域社会の様相を明らかにする視点は、列島規模の史的動態を追及する研究に繋がる。故に本研究では、保渡田古墳群出土埴輪の分析によって埴輪の工人集団の編成を明らかにする課題を設定した。
 実際の研究では、二子山古墳・八幡塚古墳の発掘調査報告書(群馬町教育委員会2000『保渡田八幡塚古墳』/高崎市教育委員会2009『井出二子山古墳』)に掲載されている埴輪を分析対象とした。まずは、報告書を中心に埴輪の実測図を集成し、観察表をもとにして埴輪の規格・技法・胎土から分類を行った。また、分類に際しては実測図をデジタルデータとして処理するため、ワコムの23インチペンタブレットを購入して作業を進めた。この基礎作業によって、保渡田古墳群から出土した主要な埴輪の分類を完了させた。
 上記の基礎的な作業を踏まえた上で、2012年1月27日~1月29日の3日間、群馬県高崎市かみつけの里博物館において、埴輪の実物資料の調査を行った。なお、時間的な制約から二子山古墳の埴輪の分析に集中した。その調査によって、二子山古墳の埴輪をA群・B群・C群・D群に4分類した。従来の報告書の見解では、複数生産地における埴輪の生産が想定されていたが、今回の調査によって実はかなり集約された生産地において埴輪が製作された点が推測された。特に、主体を占めるA群・B群は非常に均質な胎土・技法を有し、当該時期の埴輪生産が極めて集中的に行われていた点が判明した。これは、畿内の新池埴輪窯など大王墓に埴輪を供給した生産地の状況とも符合する。すなわち、当該期の埴輪生産は大王墓周辺の生産体制が地域に導入されたと考える。これは、雄略朝における地域社会運営を考える上で、非常に重要な成果である。
 以上、本研究では古墳時代中期後半の埴輪生産の在り方を明らかにしうる成果を得た。今後は埼玉古墳群での埴輪生産との比較など地域相互の比較によって、より広い歴史的文脈のなかで埴輪生産を考究していくつもりである。