表題番号:2011A-706 日付:2012/04/11
研究課題東日本大震災における法的諸問題
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 法学学術院 教授 中島 徹
研究成果概要
東日本大震災における法的諸問題

東日本大震災の特徴は、地震という、それ自体は責任を問う相手が存在しない自然現象と、それがきっかけとなって起きた原発災害という人為的な事故が分かちがたく結びついて、復旧・復興を妨げている点にある。町や村を復旧・復興しようにも、放射能汚染を取り除かなければ、その先に進むことができないのである。その責任を負うのは誰か。家や仕事を奪われた人々の損害を賠償すべきは、誰なのか。政府なのか、事故を起こした民間企業なのか。まずは、この点を考えることが本研究の第一の課題であった。
他方、「政府の役割と民間の役割」論は、もともと政府の役割の極小化を説く「小さな政府」論を正当化する文脈で登場した。そのことからもわかるように、実際にはそれまでの役割に変更を迫るときに、この種の問いが生じる。経済を司るべきは政府と民間のどちらなのか―市場における主要なアクターである民間だ、というおなじみの議論がそれである。
この場合、震災からの復旧・復興を実現するために、政府規制を強化すべきか、それとも市場の自由を拡大すべきかが問われる。しかし、このレベルの問いであれば、せいぜい復旧・復興に有益な方を採用すればよいというだけで、一般論としてこの問いを検討しても得るものはない。しかし、復旧・復興の具体的文脈に即して考えてみると、実はさまざまな問題点が見えてくる。
今回被災した地域は、最近ではモノ造りでも名高いが、伝統的には農業や漁業等の第一次産業で知られる地域である。誤解を恐れずにいえば、既得権の集積地である。そして、市場の自由拡大論によって大きく影響を受けるのは、後者に他ならない。被災地の漁業の多くが壊滅的な被害を受けたことは周知の通りであるが、復興基本計画においては、「漁業特区」構想が提起されている。これは、民間企業の参入を促進し、投資資金の確保や後継者不足の解消、設備の近代化等を図ることを狙いとしている。
この構想の前提には、現在の漁業法では、漁業協同組合(漁協)だけが漁場ごとの漁業権の優先順位1位を持ち、漁協が拒否すれば、民間企業は参入できないという規制がある。これを緩和して、特区では地元業者が作る法人や組合も漁業権を持てるようにし、民間企業による出資や共同事業に道を開くことを可能にしようという構想なのである。一見すると、高齢化と後継者不足が深刻化しているといわれる漁業にとってはプラス面が多く、これを認めない理由はなさそうにも思える。
しかし、たとえば岩手県の漁業は沿岸漁協や養殖業を主体とした小規模経営が中心で、漁協が中心となって漁場を管理し、計画的な養殖など持続可能な水産業を実践し、後継者を育ててきており、地域のコミュニティ自体が、漁協を中心とする水産業を通じて形成されているから、復興にあたっても漁協が核となるべきだという議論もある。
復旧と復興という言葉を、辞書的正確さを脇において感覚的に捉えると、前者は元に戻すことに重点があるのに対し、後者には、新たなことを始めて勃興するといったアニュアンスを感じとることもできる。
ここに、「政府の役割と民間の役割」に関する第三の要素が顔を出す。果たして、震災からの復旧と復興のいずれを目指すべきなのか。復旧は、どちらかといえば既得権を擁護しつつ生活復興を目指すのに対し、復興は規制を緩和して既得権を打破しながら、経済復興を目指すものとやや誇張して捉えれば、これは市場の自由化論とも密接にかかわる問題であることがわかる。もっとも、どちらを採用するかはしょせん地域の実情に応じて異なる政策選択の問題で、法的評価の対象にはならないと考えるのが、法律家の一般的反応である。
だが、実はそうではない。憲法学の通説によれば、財産権は既得権の集積なのだからである。このような立場からすれば、漁業権規制を緩和するかどうかは憲法上の権利保障にかかわる問題として、政府の責任が生じる余地もある。このような目で復興計画や復興基本法を捉えると、それらが実は野放しの政策問題ではなく、憲法問題としての側面を有することがわかる。以上のような観点から、復旧及び復興における政府と民間の役割と責任を検討する際の基本的視点を得ることが本年度の課題であり、それは達成できたと考える。