表題番号:2011A-001 日付:2012/04/03
研究課題ハルビンのロシア・ドイツ人(とくにヴォルガ・ドイツ人)
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学術院 教授 鈴木 健夫
研究成果概要
 エカチェリーナ2世およびアレクサンドル1世の誘致によりヴォルガ地方および南ロシアに入植したドイツ人移民は、当初は諸特権(土地割当、租税免除、兵役免除、信仰自由等々)を与えられていたが、19世紀中葉の農奴制廃止・司法改革等の「大改革」を経て1870年代になると、ロシア化政策が推し進められ、ロシア人と同じ臣民となり、租税や兵役等の義務を課せられるようになった。そればかりか、反ドイツ主義が高まるなか、20世紀に入ると、1905年革命、第一次世界大戦、社会主義革命、内戦、大飢饉、スターリンによるシベリア・カザフスタン強制移住、第二次世界大戦、スターリン批判、ソ連崩壊という相次ぐ激動のなかで厳しい運命に晒された。このような過酷な環境のなかで、数多くの人々が命を落とし、数多くの人々が国外へと移住していった。その移住先は祖国ドイツのほかに、アメリカ合衆国、カナダ、アルゼンチン、ブラジル、パラグァイなどの南北アメリカ大陸であった。1870年代から始まるロシア・ドイツ人のアメリカ移住は、ドイツを経由してそのハンブルク港から海路で向かうルートと、多くは難民としてヨーロッパ・ロシア中央部・南部から移住していたシベリアから極東地域を経て向かうルートとがあった。本研究は、この極東地域のロシア・ドイツ人の拠点であったハルビンを主要な対象として、時期的には1920年代・1930年代を中心として、ロシアからの移住とハルビンにおける彼らの実態を解明することを目的とした。
 この目的の解明をめざして、関連の文献を探索して購入・分析し、2011年8月25日から9月2日にかけて国立極東文書館(ウラジオストク)と国立ハバロフスク地方文書館(「ハルビン・フォンド)を、同年11月1日から同月6日までハルビンの黒竜江大学図書館とハルビン師範大学図書館を訪問し、当時の新聞・雑誌・書籍から関連の情報を収集した。
 以上の作業を通じて、1920年代末から1930年代初頭にかけて、スターリンの強制的な農業集団化を忌避して数多くのロシア・ドイツ人がシベリアから不法に大きな危険を冒して冬の夜に凍結した国境のアムール川(黒竜江)を渡り、ハルビンへと逃げてきたこと、その人数はまずは一千人近くが確認できること、こうしたドイツ人難民は宗教的にはメンノ派、ルター派、カトリックとさまざまであったこと、白系ロシア人も数多く亡命してきていたハルビンにあってドイツ人難民委員会が組織されたが、彼らの衣食住の環境は悪く、仕事探しも非常に困難であったこと、数年して彼らは南アメリカなどに移住していったことなどが、当時の人たちの証言などから明らかとなった。この研究成果は論文として発表する予定である。