表題番号:2010B-071 日付:2011/04/11
研究課題近世日本における異端的宗教活動の横断的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 准教授 大橋 幸泰
研究成果概要
 本研究は、近世日本におけるキリシタン禁制政策のもとで潜伏状態にあったキリシタンや、本山から異端視された隠し念仏などの異端的宗教活動を横断的に検討し、近世人の秩序意識について明らかにしようとするものである。筆者はこの数年継続してこのテーマを追究しているが、本年は特に対馬藩田代領における浄土真宗の“異端”である、いわゆる隠し念仏に注目し、その成果を発表することができた。元禄期および宝暦期にその存在が問題視され、対馬藩による吟味史料が長崎県立対馬歴史民俗資料館蔵の宗家文庫に残されているが、それら関係史料を分析した結果、以下のような見通しを得ることができた。
 17世紀前期に起こった島原天草一揆の強烈な影響で、近世人にとって「邪」の対象はきわめて限定された「切支丹」のことを意味した。「邪」の対象が明確に限定された「切支丹」を指すとともに、「正」の枠組みが曖昧であった場合、絵踏みによって「邪」でないことは比較的容易に証明することができたとしても、「正」であることを証明するのはやさしくなかった。「邪」でないことと「正」であることとは必ずしも一致せず、一度疑われた異端的宗教活動は警戒され続けた。
 一方、現実の潜伏キリシタンの世俗秩序への埋没と「切支丹」イメージの貧困化により、18世紀を通じて「邪」の周縁にあった異端的宗教活動と「切支丹」の混同が促され、「邪」の対象が曖昧になっていった。それまで警戒の対象とはされてきたものの「邪」とは一線を画していた異端的宗教活動が、肥大化した「邪」の枠組みに包摂されるようになった。
 このような「邪」の肥大化と並行して、「正」の枠組みは逆に限定化の方向に進んでいく動向が胎動してきた。近世日本では何が「正」であるのかはきわめて曖昧で、秩序を乱すものでない限り「八宗九宗」という寛容さがあった。しかし、異端的宗教活動と「切支丹」の混同が進んだなかでは、「切支丹」に対する規制が厳格であるがゆえに、秩序を維持しようとする側にとって異端的宗教活動はより警戒しなければならない対象となった。支配領域を越えて異端的宗教活動が広がっていればいるほど、判断を誤って藩の存亡に関わる重大なミスを犯さないようにするためにも、「正」の基準が求められていくようになる。
 このように、近世から近代への転換に際して、明快な「邪」から曖昧な「邪」へ、曖昧な「正」から明快な「正」へ、という「邪正」の逆転が起こった、というのが現在の見通しである。