表題番号:2010B-037 日付:2011/03/13
研究課題感性的経験と公共性について―他者性をめぐる美学的・倫理的考察
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 小林 信之
研究成果概要
 感性的経験、とくに身体感覚と公共性をテーマとするに当たって、本年度は、「痛み」の問題に焦点を合わせて研究をおこなった。
 痛みの問題は、哲学の議論においてもっとも私秘的なものの事例として頻繁にあつかわれてきた。たとえばウィトゲンシュタインも、『哲学探究』の私的言語批判の文脈において執拗に痛みの例をとりあげている。そうした議論において主張されるのは、痛みの概念が、言語的公共世界のなかで習得され理解されるようになってはじめてわたしたちは、たとえば歯痛を歯痛として感じることができるようになる、ということである。公共的・言語的に意味づけられ分節化された歯痛はいわば「文化的歯痛」であり、わたしたちの歴史の文脈においてさまざまに語られうるようになる。
 しかしながら痛みを、わたしの一回的個別経験として眺めた場合、言語化された意味を越えてずれと差異をおびてたち現れてくる。このときわたしの痛みは、他者にとって、けっして共有されえず、たえず無根拠な暗がりにむけて解釈の錘鉛をたらさねばならないような何かである。いや、他者にとってばかりではなく、すでに一時間前のわたし自身の痛みでさえ、いまここのわたしには疎遠でありうる。いまここで耐えがたく感じられている歯痛は、一回的な経験であるといわざるをえないのである。
 このように、痛みという感覚経験の事例において、公共性と私性、倫理社会的観点と美的観点、等を鋭く対比的に考察することができる。さらにまた両者の対照は、いっそう具体化していくと、痛みの感覚実質の共約不可能性と表現可能性、言語に媒介された公共性と言語化しえない感覚の剰余、それら相反する両項の逆説的な関係を問うことへと展開せざるをえない。そうした課題に関して、理論的・哲学的議論にとどまらず、具体的な「痛みのイメージ」をめぐって、いくつかの事例を検討した(グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画、ラオコーン像、フリーダ・カーロ、石内都の写真作品等)。
なお研究成果としては、『感性文化研究所紀要』no.6 に論文として掲載する予定である。