表題番号:2010A-827 日付:2011/04/11
研究課題鎌倉幕府の歴史意識に関する国家史的・社会史的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 助手 下村 周太郎
研究成果概要
本研究は、日本中世史学において重大な争点となってきた鎌倉幕府の国家的・社会的位置づけを、幕府の歴史意識やアイデンティティ、イデオロギーなどの観点から追究しようと試みるものである。具体的には、源氏三代将軍期を主な対象として、幕府における歴史意識や支配理念の形成を検討した。
まず、鎌倉幕府に関わる歴史意識としては、初代将軍源頼朝の時代の先例(「右大将家之例」・「右大将家之御時」など)を重んじる心性の存在が知られているが、その形成に関しては、従来、執権北条氏の権力正当化の手段として理解されることが一般的であった。本研究では、二代将軍頼家が頼朝の先例に必ずしも囚われない独自の政権運営を行い、結果比較的短期間で失脚したのに対し、三代将軍実朝は政治や儀礼など幅広い場面で頼朝の先例を尊重・遵守したこと。それは(北条氏に限らず)頼朝の先例を重んじる幕府の宿老・御家人やさらに寺社や非御家人の意向とも一致・連関するものであったこと。しかし、鎌倉中後期になると、頼朝と実朝の親和性や頼家の例外性はどは次第に捨象されていき、社会における公験・由緒として「三代将軍」・「代々将軍」などの歴史意識が醸成されていったこと、などを論じた。
さらに、歴史意識とも関わらせながら、支配理念についても検討を加え、頼朝の先例を重視し政権運営に臨んだ実朝は、頼朝と同様に天人相関説という統治イデオロギーを受容し、それに基づいた政治行為を志向・実践したこと。政治から逃避した文弱化・遊惰化した傀儡の将軍という実朝の古典的イメージの所以となっていた和歌・蹴鞠などの学芸活動についても、当該期のイデオロギーにおいては統治意識の現れと捉えうること。実朝期以降の幕府では、この天人相関説に基づいて、天変地異などの非常時には徳政と祈祷という朝廷と構造的に変わらない政治対応を志向・実践し続けたこと、などを論じた。
こうした検討から、鎌倉幕府の公的・政治的権力としての形成過程において、特に三代実朝期における、初代頼朝をめぐる先例の確立や天人相関説に基づく統治行為の開始が重要な歴史的位置を占めていること。このような歴史意識や支配理念を具備していく鎌倉幕府は、次第に、前代から存在する京都の朝廷と比肩・相対しうる国家的・社会的存在へと変質を遂げていくこと、などを展望した。