表題番号:2010A-012 日付:2011/04/08
研究課題バリ島ゲルゲル王国期における水利の復原研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 海老澤 衷
(連携研究者) 文学学術院 教授 西村 正雄
研究成果概要
 8月にインドネシア・バリ州にて、19世紀までバリ島に君臨したゲルゲル王国の首都であるスマラプラの主要な水利施設であったスバック・グデ・スウェチャプラの調査をおこなった。このスバックはかつて灌漑面積が900ヘクタールほどで、ゲルゲル王国の王宮周辺を灌漑するものであり、ウンダ川にある主要な取水口は、現在の用水ダムのさらに上流にあり、川原石を積んだ導水路によって引水されている。水利事業が近代化される中で、このスバックは伝統的な灌漑方式を今に伝えているものとして貴重である。
 国立ウダヤナ大学にて、副学長で農学部教授のイ・グデ・プトゥ・ウィラワン教授および、文学部のアナック・アグン・バグス・ウィラワン教授と会見し、スバック・グデ・スウェチャプラに関しての知見を得るとともに、秋に早稲田大学にて行うワークショップでの講演を要請した。
 11月4日(木)、早稲田大学文学学術院第2研究棟第7会議室にてワークショップ「バリ島の農業と灌漑システムの歴史」を開催した。海老澤が趣旨説明を行った後、アナック・アグン・バグス・ウィラワン教授が講演「ゲルゲル王国とスバック・グデ・スウェチャプラ」を行った後、イ・グデ・プトゥ・ウィラワン教授が講演「バリ島農業とスバック」を行った。ここで明らかになったことは、次の6点に要約できる。(1)スウェチャプラ王宮はダルム・スワラ・クパキサン(1381-1460)として知られるゲルゲル王朝の初代王が建てたものである。(2)ゲルゲル王国は当初スバックが発展した農村に過ぎなかったが、2世ダルム・ワトゥレゴンの時に最盛期を迎える。王は二人のヒンドゥーの高僧を招き、宗教・軍事・農業・芸術などの部門でヒンドゥー文化を進化させた。(3)スウェチャプラ王宮の周囲には、イェー・ヒィーというスバックが以前から存在したが、さらにトーヤ・チャウ、プガテパン、カチャン・ダワなどの家臣の名がつけられたスバックが形成された。(4)1651年には、家臣の叛乱により、スウェチャプラ王宮は放棄された。(5)ゲルゲル王国の滅亡後もスバックは維持されてきたが、1995年に4つのスバックが統合され、かつての王宮の名を取って「スバック・グデ・スウェチャプラ」が生まれた。(6)現代において、スバックの維持には様々な困難が伴い、523ヘクタールにまで縮小している。スバック会員の負担も重くなっており、儀礼の費用の調達が大きな問題となっている。
 以上のように、従来明らかにされていなかったバリ島の長い伝統を有する水利組織の歴史と現状が明らかとなった。これらの成果については、海老澤が代表を務める水稲文化研究所の刊行物『講座水稲文化研究 5』(2011年度刊行予定)に収録される。