表題番号:2009B-037 日付:2010/03/14
研究課題近代日本の思想形成と美学―比較思想的視点に基づく相対化の試み
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 准教授 小林 信之
研究成果概要
本年度は日本文化における美意識や感受性の問題に関して、とりわけ現象学における知覚論を参考に研究をすすめた。
(1) メルロ=ポンティの知覚論・身体論と西田哲学とを批判的に対照し、たとえば「色彩」をめぐる問題について主題化した。
(2) 上記の現象学的研究をふまえつつ、とくに詩的経験をテーマとする論文を執筆した。この論考は、2010年3月に西田幾多郎記念哲学館において開催された日独哲学交流シンポジウム「形象の言葉/形象を見る―東と西West-oestliche(s) Bildsprache/Bildsehen 」で公表され、論文として出版される予定である。(タイトルは「かぎろひの立つ見えて ―〈いまここ〉の知覚風景」)。
目で見ること、耳を澄ますことで、わたしたちの前に直接知覚の風景が立ち現れ、この知覚の働きが、あらゆる認識の源泉として、たえずそこへと立ち返るべきところであると見なされてきた。しかしながら、たとえば空の虹を考えてみると、虹は言語的・文化的に規定されているから(とくに日本語の世界においては)七色に見えるのか、それとも言語的・意味的分節化に先立って、何か一般的な知覚経験が成立しているのか、容易に答えることのできない問いがここで生じてくる。知覚と言葉をめぐるこうした問いに関して、日本語の詩の言葉に注目することで考察は展開された。 詩的経験とは、生活世界における日常性をエポケーへともたらし、それを新たなまなざしのもとに見つめることを可能にするが、そこで露わとなるのは、わたしたちの知覚の働きの(1)非人称性と(2)身体性である。この二点に関して、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』、ハイデガーの言語論、西田幾多郎の場所論、三木清の「構想力論」を参照しつつ議論をすすめた。
結論的に総括すれば、わたしという主体の基底には、歴史的・言語的に媒介された非人称的な「身」の次元があり、それは、「あらゆる特殊な定位可能性を一般的な企投のうちにふくみこんだ、匿名の〈諸機能〉のシステム」(『知覚の現象学』)であるということ、このことが明らかとなった。