表題番号:2009A-941 日付:2013/02/27
研究課題明治期作文教育と西洋詩学 散文指導の可能性
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 高等学院 教諭 佐々木 基成
研究成果概要
明治期作文教育の濫觴として伊沢修二の実物教授を調査研究した。実物に即して説明文を書くという伊沢修二から始まる作文教育の系譜の消長を考察するとともに、早稲田大学を中心として展開された美辞学において叙事文や記事文といった文の詩学的整理がどのように展開されたかを検証した。また、明治三十年前後に就学率が高まるにつれて各書肆より上梓された作文作法書や文範において、西洋詩学の導入の程度、応用のされ方を検証し、西洋画から着想を得て写生文を提唱した正岡子規の叙事文を再考した。成果として、実物教授の手法と近年のヴィジュアル・リテラシーの考えを融合し、図像を用いて解釈しそれを文として表出することを目した授業を実践したうえで論文化した。(「図像による読解力育成授業の試み 石田徹也の作品を教材として」『早稲田大学国語教育研究』第30集)また、正岡子規が「叙事文」によって展開した新たな文章論を実践した写生文家の中で、それを報告文としてもっとも遂行した人物として、今まで言及されてこなかった明治期の西遼一という人物を調査した。西遼一は熊本県出身、日露戦争では通訳を務め、露領ウラジオストックで商人をし、帰国後は立憲民政党とも関係した人物であり、新聞『日本』と雑誌『ホトトギス』にルポルタージュ性の強い写生文を大量に掲載した人物であるが、今までその研究が全くされてこなかった人物である。そのご子孫を探し当て、連絡いただくことができ、貴重な証言と残っている資料を閲覧させていただいた。正岡子規の短冊、河東碧梧桐の俳句などを西遼一が所蔵していたことが明らかになり、両者との交友が実証された。この成果は「〈写生文〉の一水脈 ―子規、鼠骨、そして西遼一―」と題して早稲田大学国語教育学会の例会で口頭発表した。現在、そこでいただいた意見を参考に論文化を試みている。また、文学教育の濫觴を明治期の作文教育の中に模索する試みも副次的に進めており、そこで生じた問題意識を「教材としての〈作者〉谷川俊太郎「私は私」の授業実践をもとに」と題して『日文協 国語教育』第39号に発表した。