表題番号:2009A-835 日付:2010/04/11
研究課題「扇の的」教材化における歴史的把握と内容分析、および効果的な発問の開発
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 助手 菊野 雅之
研究成果概要
2009年度は、「扇の的」を中心とした『平家物語』の教材化の歴史的把握の作業を特に重点的に行った。本研究は、現在の研究水準で行われているようないわゆる教材史とはパースペクティブが異なる。これまではそのほとんどの仕事が太平洋戦争以降の新教育で、古典教育がどのように展開したのかを、明らかにする仕事であった。それは一つ重要な仕事ではあるが、古典教育がどのように発生したのか、という近代国語教育自体の問題と切り離せない問題であることを見落としてきたうらみがある。「近代」・「古典」・「教育」といったキーワードは今後の古典教育研究の水準において外すことができない視点である。
古典教育の発生過程をより対象化して探るために、近代以前つまりは近世における『平家物語』の教材化について調査を行った。現在のような古典のアンソロジー型式の教科書などむろんない。そもそも「国語教育」という概念自体が前近代には存在しない。子弟にほどこされた教育の多くは、手習いと素読である。その手習いと素読の教材として『平家物語』の本文が使用されているのである。その最古のものは1600年前後にまでさかのぼることができ、様々な軍記関連の書状を収めた『新板古状揃』が基本的な形として完成し、以後『新板古状揃』を手本とした様々な注釈本が展開していくこととなる。その教育文化は江戸の中頃まで残存したのである。近世における『平家物語』の教材化は、文字(漢字・熟語)の読み書き・書状の文体と型式の学習といった実用的な効果を期待したものであり、近代の『平家物語』に期待されたものとは異なることがここで初めて明らかになるのである。
しかし、この明治中期まで残存した『古状揃』という教材は近代国語教育の枠内に収められることはなかったと結論づけてよいだろう。ここには実際的な学力観(書状の読み書き)から近代的教養(国民的教養といってもよい、もちろんこれは近代によって作られたものである)という学力観への視点の変更があったためである。この近世から近代への移行の中で、あるいは言文一致運動という「国語」の変化の中で、『平家物語』は急速にその実用性を失っていき、一方で「国民的な教養」としての、「国民的叙事詩」としての地位を、帝大の「日本文学史」形成の動きと強く連動しつつ獲得していくことになる。現在の『平家物語』教材につながるような教材化は明治30,40年代以降になされている。これは「文学史」の完成と合致するのである。ここでさらに問題となってくるのは、「文学史」形成の態度とはどのようなものだったのかということになるだろう。何を評価し何を評価しなかったのか。それは結局我々がなぜ「古典」を読まなければならないのか(読む必要はあるのか)という根本的かつ現在的な問題について考察することになっていくだろう。