表題番号:2009A-803 日付:2010/03/08
研究課題GATT・TRIPs 交渉の開始に日本企業の圧力活動が果たした役割の解明
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学術院 教授 遠矢 浩規
研究成果概要
 関係者への調査(未公表資料の取得、インタビュー)及び文献調査により、日本の企業・産業界が、米国で生まれた「TRIPs」の概念を受容し、TRIPs交渉への参加を日本政府に働きかけるにいたった過程を明らかにした。本研究により得られた知見は以下の通りである。

1.BIACの役割(1985年11月~1986年3月頃)
 日本の産業界が「TRIPs」の概念に初めて触れたのは、BIAC(OECD経済産業諮問委員会)の活動を通じてであった。BIAC米国支部(米国国際ビジネス評議会)が「TRIPs」の国際的浸透を図ってBIAC貿易委員会に提出した提言案を、BIAC日本支部(経団連)が日本特許協会及び外務省の協力を得て検討することで、はじめて法律問題としてではなく、「知的財産権=貿易問題=GATTマター」という認識が、産業界(実務家クラス)で共有された。

2.日米財界人会議の役割(1986年2月~7月)
 日本の産業界の経営者クラスが「TRIPs」概念に直接触れたのは、日米財界人会議の一連の会合においてであった。しかし、実務家クラスと異なり経営者層は当時、知的財産権に無関心であり、「TRIPs」の意図は十分に理解されなかった。

3.外務省との関係
 四極貿易大臣会合での米国からのTRIPs交渉開始提案に備えて、1985年11月~1986年1月、外務省は経団連に接触して情報収集を行った(結果的に上述BIAC提案を共同で検討することになった)。1986年4月、外務省は経団連及び学者(法学、経済学)とともに非公式のシンクタンクを日本国際問題研究所内に設置し、「TRIPs」への対案を作成した。

4.通産省との関係
 四極貿易大臣会合の本来の主役である通産省は外務省に出遅れたが、1986年5月以降、日本特許協会等(経団連実務家クラスを含む)を事実上シンクタンク化して、「TRIPs」への対案を検討するようになった。外務省の案が日米関係を基本としつつ途上国に一定の理解を示す内容だったのに対し、通産省案は米国の保護主義的な知的財産権政策に対抗する内容だった。

5.米国知的財産委員会のインパクト
 米国ハイテク企業が「TRIPs」概念の国際浸透を目的とした圧力団体「知的財産委員会」を結成し、1986年8月に来日し、経団連、日本国際問題研究所、外務省、通産省と会合した。一連の会合で知的財産委員会が、TRIPs交渉がGATTのアジェンダにならなければ通商法301条等によるバイラテラルな措置に訴える姿勢を示したため、日本側は「TRIPs」への警戒をむしろ強め、経団連・通産省を軸に、「米国の保護主義的な知的財産権政策を封じ込めるためにTRIPs交渉を米国の目論見とは違う内容で促進させる」とのコンセンサスが形成され、これが日本政府の基本方針となっていった。