表題番号:2009A-012
日付:2010/04/10
研究課題パチェーコの『絵画論』と17世紀スペイン美術の諸相 -ベラスケスおよび同時代画家への言説-
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 文学学術院 | 教授 | 大高 保二郎 |
- 研究成果概要
- フランシスコ・パチェーコ(1564-1644年)は16世紀末から17世紀初め、マニエリスムからバロックに至る移行期のセビーリャ画壇において折衷派の画家として活躍した。しかし、彼の功績は画家としてよりもむしろ、後に偉大な宮廷画家となるベラスケスの師で岳父であったことと同時に、『絵画芸術、その古代性と偉大』(1649年刊行)の著者にして美術理論家として、多くの貴重な原資料を収録する一方、また同時代の絵画・彫刻に少なからぬ影響を与えたことに見出すべきであろう。パチェーコは同時代の絵画や画家たちに対してどのような見解を抱いていたのであろうか。これが本研究の中心課題である。
パチェーコによる美術家への言及は、古代ギリシアから当代美術家に至るまで、総数で250名を優に超えるが、最も多く紙幅を割いているのはイタリア・ルネサンスの巨匠たちに対してである。すなわちレオナルド、ラファエッロ、ミケランジェロ、そしてティツィアーノであり、それ以外の特徴としては建築家のアルベルティ、ヴァザーリ、デューラーが特筆に値する存在として重要視されている。また15,16世紀の北方ネーデルラントの画家たちの引用も多く、そこにはイタリア・ルネサンスとネーデルラント絵画を二大源流として形成された近世スペイン絵画の成立事情を垣間見ることができるだろう。
一方、自国の同時代スペイン画家や地元のセビーリャ画壇についての言説は、時代的にはパチェーコの誕生した16世紀後半から同「絵画論」脱稿の1638年あたりまでと年代的に限定されようが、その最大の特徴は、パブロ・デ・セスペデスと弟子で娘婿ベラスケスを例外として、今日よく知られる画家への言及が異常に少ないということである。セビ-リャで活躍したフランドル系のカンパーニャや彫刻家モンタニェース、エル・エスコリアルの画家ナバレーテ、自らそのアトリエを訪ねたトレドのギリシア人画家エル・グレコ、論敵の理論家でイタリア系の画家ビセンテ・カルドゥーチョ、ナポリで活躍したバロック画家ジュセぺ・デ・リベーラなどのことが言及される程度である。スルバランやカーノはほとんど登場しない。その意味では、純粋にバロック時代論を、パチェーコを典拠に構築することには無理があるだろう。しかし逆に、16世紀から17世紀への移行・転換期の様々な問題を、様式と図像の両面から考察するためには極めて貴重なドキュメントなっているのである。
詳細は、以下に刊行予定の二論文において論じられる予定である。