表題番号:2009A-010 日付:2010/04/12
研究課題鎌倉時代における備中国新見荘地頭方所領の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 海老澤 衷
研究成果概要
 この研究は、備中国新見荘(岡山県新見市周辺)をフィールドとして中世荘園の復原を目指すものである。備中国新見荘は研究対象として魅力があるため、これまでも多くの研究者が取り組んできた。しかし、全体的な復原は極めて困難である。方法として文献資料の精査と現地調査の実施という二方面からのアプローチがあるが、新見荘の場合、文献資料が厖大に存在し、また現地も広大である。そのため、今回の研究では、鎌倉時代の地頭方所領に限定して行った。
 文献資料に関しては最も基本となる東寺百合文書中の「備中国新見荘東方地頭方山里畠実検取帳」(ク函13、14、15)と「備中国新見荘地頭方東方畠地実検名寄帳」(ク函18)の原本の精査を京都府立総合資料館において行った。前者については、13・14が原本に近く、15はその案文であることがわかったが、13・14は欠失分があり、15により補わざるを得ない部分があることが判明した。後者は現在重厚な巻子本となっているが、山折りと谷折りの跡があり、山折り部分に文字が重なることがなく、谷折りと紙継ぎ目には頻繁に文字が重なることから、もとは折本または旋風葉仕立てであったと考えられる。これらの成果については、『鎌倉遺文研究』23号・25号の「『鎌倉遺文』未収録「東寺百合文書」」参照のこと。
 現地調査に関しては、大学院ゼミの一環として実施することができた。幸いにも、1980年代に、東京大学史学会シンポジウムで詳細な報告を行った竹本豊重氏がご健在であっため、多くの知見を得ることができた。ほぼ、検注順路に沿って踏査したが、調査期間が短時日であったため、概要は把握できたものの、細部の調査については今後に期待しなければならない。従来、高梁川の下流沿いにわずかに存在する平地部分の研究が進められていたが、奥村の山間地域に広がる所領にも関心を向けるべきことが明らかとなった。