表題番号:2008A-106 日付:2009/04/03
研究課題民国期中国通俗文学に描かれた日本女性像に関する考察
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 国際教養学術院 助手 中村 みどり
研究成果概要

 上海市図書館の蔵書である、清朝末期に上海で刊行された曼陀編著『女学生旅行記』(前編・後編、1907、1909)を取り上げた。同小説に描かれた滑稽かつ好色な日本女性像が、民国初期の国民的ベストセラーであり、今日も読み続けられている中国人の日本留学を題材とした通俗小説『留東外史』に引き継がれていることを考察した。
 曼陀編著『女学生旅行記』の序に拠れば、同小説は明治期の著名な通俗小説家五峰仙史の『滑稽女学生旅行』(正編・続編、1906、1907)の翻案である。そのほかやはり当時名の知れていた通俗小説家池田錦水の『女学生気質』(1902)なども下敷きとしている。下敷きとなった小説はいずれも明治期の女学生の増加、女学生文化の流行などを反映し、女学生の奔放で品行不正な姿を興味本位に描いている。だが、原作と読み比べてみると(『滑稽女学生旅行』はハワイ大学図書館と日本の国会図書館の蔵書のコピーを利用した)、翻訳、書き換えの過程で女学生の不道徳は日本人、とりわけ日本女性全般の不道徳として強調されていることがわかる。
 『女学生旅行記』は旅行を通した日本名所案内の趣も有しており、日清戦争後中国人の日本への興味が増す中で、日本文化と日本人気質を紹介した通俗小説として刊行されたであろうことが想定できる。このように日本案内とセットになった、読者が見下げるに値する好色な日本女性像は、不肖生著『留東外史』にもつながるものであり、その底には中国よりいち早く近代化を遂げた隣国日本への作者及び読者の興味、好奇心、焦燥、反感などが入り混じっているように思われる。ただ、作者の曼陀と不肖生はともに日本滞在経験を有しているが、後者は恵まれない「三等」政治亡命者の身分で日本に滞在し、その鬱屈はより小説の中で爆発し、さらに時代背景も加わり、彼の小説をベストセラーの位置に押し上げたように思われる。
 明治期の小説が大量に中国語に翻訳され、中国の近代小説の形成に影響を与えたことはすでに指摘されているが、研究対象は著名な日本の小説を原作とする、あるいは著名な中国人文学者の手を経て翻訳されたものに集中しがちである。だが、軽薄な内容の通俗小説の中にこそ、当時の読者の興味や期待が表れているのではないだろうか。曼陀編著『女学生旅行記』を通してこそ、『留東外史』がベストセラーになるまでの水脈を見ることができる。引き続き日本女性を描いた晩清から民国にかけての小説を取り上げてゆきたい。