表題番号:2008A-009 日付:2009/03/24
研究課題吉江喬松遺品文書調査研究―家族宛書簡および研究ノートの解読を中心に
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 小林 茂
研究成果概要
本研究は、早稲田大学が大正9(1920)年、新大学令によって、名実ともに大学となった年に、
文学部を改組して新たに仏独露の文学科が設置されるに先立って、1916年末より1920年夏
までフランスに滞在して、当時その頂点にあった、フランス実証主義文学史研究を、その唱導者と
いうべきギュスターヴ・ランソンに師事して学びとり、これを日本に伝えて、日本人として初めて、
組織的フランス文学研究の基礎を築いた吉江喬松の業績を明らかにする上で、不可欠でありながら、
これまでまったく手が付けられていなかった、滞仏中の状況について、これを明らかにすることを
第一の目的として着手された。
吉江家今日の当主の好意によって可能となった、保存資料のうち、フランスよりの家族宛書簡類の
整理、写真撮影、解読作業を、その第一段階として行った。当主家族の、高齢と健康状態の危惧が
あって、当初予定した現地(長野県塩尻市)への一定期間滞在しての持続的調査に困難があったた
めに、短期に数回に分けて作業に当たった。
書簡類の解読、翻字は補助者をも用いて完了した。滞仏中の研究ノートは、存在を確認することが
できなかったが、帰国後の講義ノート類の保存は確認できた。これの撮影、解読等は、今後の課題
となるであろう。
しばしば、「学生下宿の寒い部屋で、ひたすら学習に励んだ」と伝えられながら、『仏蘭西印象記』
等の刊本に伝える以外に、生活の実際は知られていなかったが、妻貞子宛を中心とする書簡によっ
て、生活状況、交友関係などがある程度まで明らかになった。書簡類については、吉江家の許可を
求めて、今後活字化して発表していく予定がある。
担当者は、長期研究期間にあたり、フランスにおける当時の状況の一端を調査することも試みた。
ただし、吉江喬松が夏季に滞在したグルノーブルでの状況については、必ずしも当時の事情が明確
にならないために、充分な調査に着手することまでは、今回は及ぶことができなかった。
なお、吉江家の上記の事情もあって、当初予定のうち、作業を完遂できなかった部分があり、その
ことが、予算執行の上で必要とされず、残額を残した。
下記の成果欄に記載する如く、吉江喬松の業績についてフランス語で講演する機会を与えられたの
で、そのために、一旦帰国して資料などを運び、フランスにおいて講演を準備、実施した。