表題番号:2007B-229 日付:2008/04/07
研究課題文化遺産の担い手に関する民族誌:アソシエーションの公共性に関する人類学的考察
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学学術院 専任講師 竹中 宏子
研究成果概要
 本研究はサンティアゴ巡礼路(対象地域はスペイン・ガリシア州に限る)に関わるアソシエーションの公共性を明らかにしようとするものである。2007年度は文献調査および文化遺産に関する研究者との意見交換を通じてヨーロッパおよび日本における先行研究の整理を行った。
1.スペインおよびヨーロッパにおける文化遺産研究
 これまでの「遺産」(西:patrimonios,仏:patrimoins)に関する資料は、1)行政、遺産保護に携わる者による技術論、2)論争的、文化国家の擁護あるいは告発、の内容に大別される。ヨーロッパにおいて古くから歴史的建造物および美術品は保護の対象とされてきた経緯があるが、大きな変化は、従来の概念が拡大解釈され、例えば現在では使われなくなった農具や田園風景までも遺産として捉えるようになったことである。そこには1972年にUNESCOで採択された世界遺産条約(正式名称:世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約)の影響があると予測される。
ヨーロッパではこの30年来、文化遺産を保存していくことが現代社会にとってどのような意義をもつのかという問題が、様々な学問分野で議論されてきている〔荻野昌弘 2002「編者序文」荻野昌弘編『文化遺産の社会学 ―ルーヴル美術館から原爆ドームまで』, 新曜社, pp.i-iv.〕。本論が対象とするスペインでは1970年代から博物館関係者の間で議論が行われていたものの、人類学などの研究のレベルではフランスなどに少々遅れて90年代から研究成果が出始めた。 その多くは「遺産」とは社会的な構築物であり、したがって人工的に創られた概念であることが指摘され、主に「遺産化」が博物館、観光、法律との関係で歴史的に検討される、または政治性をはらんだ文化論として抽象的に論じられている〔例えば:García García, José Luis 1998 “De la cultura como patrimonio al patrimonio cultural” Política y sociedad No 27, Fac. CC. Políticas y Sociología de la UCM, pp.9-20; Prats, Llorenç 1997 Antropología y patrimonio Barcelona:Ariel など〕。プラットは1990年代の段階で遺産に関する事例研究の少なさを指摘しているが〔Prats, 1997, ibid, p.14〕、近年ではより小さな地域における遺産の活用あるいは有用性が実践的なレベルで議論される傾向にある。

2.日本における文化遺産研究
 日本においては1992年に通称「世界遺産条約」に加入してから現在まで、地方自治体および地域住民からその登録に向けての運動が広がり続けている。この現象に代表されるように、地域の資源を基礎にした文化遺産あるいは自然遺産への関心が高まりを見せ、人類学、民俗学、社会学などからも研究が重ねられてきた。その資料の対象地域も国内外に及び、現代社会における「遺産」をめぐる問題の多くは、地域がもつ資源あるいは生活環境の中からある部分が「遺産」として選択、評価または再評価される過程、つまり文化が客体化されるような「遺産化 (patrimonialization)」のプロセスが考察されてきた。例えば、山下晋司〔1988『儀礼の政治学 ―インドネシア・トラジャの動態的民族誌』, 弘文堂; 1996, 『楽園』の創造 ―バリにおける観光と伝統の再構築」山下晋司編『観光人類学』, 新曜社, pp.104-112〕による国家や来訪外国人などの外的な要因によって再構築されるトラジャの伝統儀礼やバリの民族芸能、橋本裕之〔1996,「保存と観光のはざまで ―民俗芸能の現在」 山下晋司編『観光人類学』, 新曜社, pp.178-188〕によるホストとゲストがもつ文化コードの違いから創出されるフィジーの民族文化、塩路有子〔2003,『英国カントリーサイドの民族誌 ―イングリッシュネスの創造と文化遺産』, 明石書店〕による地元民ではなくインカマーにより維持される英国カントリーサイド(ピッチング・カムデン)の景観、森田真也〔2003,「観光客にとっての祭礼、地域にとっての祭礼 ―沖縄竹富島の種子取祭から」, 岩本通弥編『記憶』, 朝倉書店, pp.178-203〕による観光の影響をも受け多様な意味を生成している沖縄・竹取島の伝統的な祭礼、などが挙げられる。これらは、ローカルな地域社会の論理とより大きな社会の流れとを同時に視野に入れ、その交錯と動態の考察を試みた研究と位置づけられる。また、同様の視点をもって、川森博司〔1996,「ノスタルジアと伝統文化の再構成 ―遠野の民話観光」 山下晋司編『観光人類学』, 新曜社, pp.150-158; 2001,「現代日本における観光と地域社会 ―ふるさと観光の担い手たち―」『民俗学研究』66―1 pp.68-86〕は遠野の、才津祐美子〔2003,「世界遺産『白川郷』の『記憶』」岩本通弥編『記憶』, 朝倉書店, pp.204-227〕は白川郷の事例から、地域の資源の観光化や保存の過程において困難な状況を乗り越えながら発現される、住民による生活のための創意工夫のあり方を明らかにした報告もある。いずれの場合も、歴史や文化の商品化および「伝統文化」を利用した「文化産業」が進む中、それらの担い手の論理、すなわち地域住民の「遺産」との主体的な関わり方がフィールドワークを通じてミクロな視点から分析されているのである。このような調査・研究が学際的な広がりをもって結実した発展的な成果が、岩本を代表とする研究成果報告書〔2004,『文化政策・伝統文化産業とフォークロリズム ―「民俗文化」活用と地域おこしの諸問題―』(課題番号13410095)平成13~15年度科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))研究報告書〕で、これは評価すべきものであり、「遺産」とその担い手の問題を考える上で本研究でも大いに参考となる資料である。

 本研究は当初、2007年7月1日~2008年3月31日まで行われる予定であったが、同課題で科学研究費の研究として追加採択されたため、9月30日で助成金が打ち切られることとなった。そのため当初の研究目的として挙げていた、文化遺産とのかかわりにおけるアソシエーションに関する調査・研究の実行には至らなかった。先に挙げた文献調査には対象地域であるガリシアに関して未だ不十分なところが多いが、現段階では文化遺産に関する国内外の先行研究を大枠で掴めたのではないかと考える。