表題番号:2007B-035 日付:2010/04/09
研究課題日本近代における「歴史小説・時代小説」の系譜学的・メディア論的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 高橋 敏夫
研究成果概要
一九九〇年代半ばからブームが続き、現代文学のなかでも際立って多くの書き手と膨大な読者を有する「時代小説」と「歴史小説」。「読んで面白い、爽快、感動もの、癒される」といった読者の感想が語られ、それを補強する印象批評がなされている。「現代小説」にくらべはるかに自明の存在といってよい。しかし、「時代小説」「歴史小説」とはなにかと、読者に問うても明瞭な答えは返ってこない。書評家や評論家にあっても事情はさほど変わらない。広辞苑第六版には「時代小説 古い時代の事件や人物に題材をとった通俗小説」「歴史小説 過去の時代を舞台にとり、もっぱらその時代の様相を描こうとする小説」とあるが、一般にもこの程度の了解と、個々の小説がもたらす楽しみがあるだけだろう。
これまで私は中里介山の『大菩薩峠』をはじめとして、山本周五郎や藤沢周平、また司馬遼太郎や池波正太郎の作品分析を通してこのような状況を打破し、「時代小説」「歴史小説」の意義を明らかにしようと試みてきた。
今回の研究は昨年の研究と同じく、特に最近書かれた作品を介しての試みとなった。それぞれの作品とテーマは以下のとおりである。①諸田玲子『青嵐』から、「長谷川伸に発する股旅小説の意義」を考える。②城山三郎『辛酸』から、「『敗北』から出発する歴史の書き換え」をたしかめる。③直木賞受賞作、松井今朝子『吉原手引草』から、「隆慶一郎以後の吉原もの――解放空間から血塗られた空間へ」を跡付ける。④あさのあつこ『弥勒の月』『夜叉桜』から、「時代小説で可能になる物語的振幅とはなにか」を考察する。⑤北重人『月芝居』から、「時代小説における『悪人』および『悪党』」を前景化する。以上の試みを通して、従来の小説で提起されたいくつかの問題の現代的様相を確認できた。