表題番号:2007A-830 日付:2008/03/09
研究課題會津八一記念博物館所蔵の中国紀年鏡に関する基礎資料集成と図像学的考察
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 助手 楢山 満照
研究成果概要
 本研究は、早稲田大学會津八一記念博物館が所蔵する中国古代の金工美術作品「嘉興元年対置式神獣鏡」(以下、本鏡)を調査対象とし、実作品と文献資料双方からの検討により、製作年代および製作背景の究明を行うものである。単年度の研究課題ということもあり、今年度はその基礎資料集成の段階に位置づけられるものであり、基礎的な図像学的分類を行うことを軸に据えた。
 史書の記述によれば、「嘉興」という年号は五胡十六国の一国である西涼のほかに存在しない(A.D.417)。しかし、本鏡は図像ばかりではなく、銘文内容においても明らかに三国呉初期(A.D.225前後)の様式を示しており、200年ほど下った中国西北の小国である西涼において、かくの如き銅鏡を製作し得たかどうかについては、いまだ見解の一致をみていない。
 そこで本研究では、三国呉か西涼かの弁別を試みる第一歩として、まず本鏡の実見調査を実施し、詳細な図像学的分類を試みた。調査では、実見による調書作成、計測、6×7中判サイズでの写真撮影という手法をとった。西涼時代と断定できる作品はほぼ皆無に等しいが、三国呉の紀年鏡については100点余りの作品が知られており、図像細部のデータ、ならびに銘文内容とその書体の比較検討により、本鏡は三国呉の製作である可能性が極めて高いという考察結果を得た。
 もっとも、本鏡には同じ笵(鋳型)から製作された同笵鏡の存在が、日本国内に1点、中国に2点確認されている。今後は、それら同笵鏡の実見調査を実施し、これまでの考察結果に図像学的裏付けを行い、製作年代の弁別をより深化させる必要がある。あわせて、『三国志』呉書を中心とした文献資料を用いて、混乱期である三国時代に「嘉興」という年号が呉で使用されていた可能性について検討を行う必要があろう。
 同笵鏡に対する図像学的見地からの調査、史書の記載内容の精査、以上ふたつが今後の課題である。しかし、実作品を調査したことにより、本鏡が「嘉興」という年号を使用した西涼ではなく、三国呉の製作である可能性を肯定するための基礎資料を収集し得たことは、今後の中国銅鏡研究の進展に寄与できるものと考える。