表題番号:2007A-829 日付:2008/03/24
研究課題説一切有部における念住の内容がなぜ教義の発展段階において変遷したかに関する考察。
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 助手 飛田 康裕
研究成果概要
 世親の『倶舎論』においては、四念処の内容は「身を不浄、受を苦、心を無常、法を無我と見る」と規定されている。これに対して『倶舎論』に先行する『中阿含経』においては、身に関しては身中の内臓や汚物を観察するなどの18種の観法が提示され、受に関しては21種をありのままに知る観法が、心に関しては20種の心をありのままに知る観法が、法に関しては六結・五蓋・七覚支という心所法を観察するというものが示される。筆者は、この重要な四念処の内容が、なぜ以上のように大きく変遷したのかということが追求されなければならないと考え、そして、そのためには四念処の特徴を決定する「出入息念」と「修定」という念処の支分についての考察が必要であると考えた。
 しかし、「出入息念」について『雑阿含経』(内容的には『中阿含経』に先行すると考えらている)の用例を調べるにつれ、四念処の内容自体が『中阿含経』と『雑阿含経』(『雑阿含経』では四念処の具体的内容までが示されることはごく稀)では異なる場合があり、後者ではむしろ『倶舎論』に近い「無常・苦・空・無我」という観察が暗示されているものがあることが明らかとなった。筆者は、初め阿含経における四念処の内容はすべて基本的には『中阿含経』の内容と共通すると考えてもよいと見做していたので、以上のようになると四念処の内容自体についても『雑阿含経』を中心に考察し直さなければならない可能性がでてきた。また、これと相俟って『雑阿含経』の「出入息念」の概念についても『中阿含経』との相違点を念頭においた吟味が必要となろう。
 今のところ、『雑阿含経』における四念処の調査と内容分析が完了したので、今後は『雑阿含経』と『中阿含経』の共通点と相違点のより精密な吟味、そして『雑阿含経』における「出入息念」の調査と内容分析、『中阿含経』との比較、さらには『倶舎論』と『雑阿含経』との関連についての考察を行う予定である。