表題番号:2006B-042 日付:2007/03/10
研究課題テレビ・メディアへの文化論的アプローチ
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 長谷 正人
研究成果概要
現代社会は、テレビ・メディアの作り出すイメージに覆われている。2006年の不二家問題で彼らの衛生管理の不備を嘆いた人間は、誰一人として不二家のケーキをまずいと思ったり、不二家のケーキでお腹を壊したりしたような具体的経験を持ったわけではないだろう。自らの生活のなかで具体的に困ってもいないことを、メディア空間の情報を通して「けしからん」と道徳的に語ることほど、抽象的で空疎な事態はないのではないか。しかし間違いなく、そのような空疎なメディア空間によって私たちの現在の生活は作られている。このようなシミュラークルとしてのテレビ生活空間が成立しはじめたのが1970年代である。だからこそ、この時代のテレビ(製作者も視聴者も出演書も)がいかなる変容を起こしてシミュラークル化したかを見直さなければならないのだ。60年代まではアメリカのテレビドラマなどを通して、自分たちの生活の外を夢を見るメディアであったはずのテレビが、70年代になると自分たちの日常生活それ自体を夢として作り変えるような倒錯的な作業を行うようになる。たとえば脚本家・山田太一によるドラマ『岸辺のアルバム』という傑作では、変態的ないたずら電話を通して主婦・八千草薫は、未知の男、竹脇無我との不倫の世界へといざなわれていく。そこには一軒家で孤独に送る日常生活労働の反復退屈さを否定し、逆に生活をファンタジー化しようとする彼女の欲望が渦まいていただろう。そして事実私たちは山田太一の予言した道を通って日常生活を抽象的なファンタジー空間(シミュラークル)にしてしまった。そのとき私たちはそこで「退屈な日常生活」を失ってしまったのではないか。退屈という贅沢の喪失。いつも面白いことが起きてないといけないという強迫的観念。テレビメディアを分析することは、この閉塞空間を打ち破って、「退屈な日常生活」を思い出すことでなければなるまい。