表題番号:2006B-020 日付:2007/06/23
研究課題20世紀の文化と思想の中のジョルジュ・バタイユ
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 法学学術院 教授 吉田 裕
研究成果概要
 2004年より従事していたマリナ・ガレッティ編のバタイユと結社アセファルに関わる資料集の翻訳を、『聖なる陰謀』の標題で、ちくま学芸文庫から刊行した。共訳者は、江澤健一郎、神田浩一、古永真一、細貝健司の4名である。そして、この刊行に伴い、バタイユ・ブランショ研究会のなかで、シンポジウムを開催し、訳者5名がそれぞれの発表を行った。これは5月20日に慶応大学で開催された日本フランス語フランス文学会の活動の一環として行われた。さらに、この発表を、報告集「アセファル――その内と外」としてまとめた。この作業により、1935年から44年にかけての、バタイユのもっとも混迷した時期を、ひとつの視点から読み通す作業を完了することが出来た。
 これを受けて、吉田個人は、バタイユ研究を総括する作業に入り、『バタイユの迷宮』として刊行する予定である。この書物の中心に置かれるのは、『眼球譚』、『内的体験』、『死者』に関する論考である。『眼球譚』論では、これまで行われてきたような精神分析的な解釈ではなく、小説作品の空間の生成という観点から論じた。『内的体験』論では、供犠、瞑想、エクスターズ――これまで一緒くたに論じられてきた傾向がある――を、ある探求の過程として位置づけることを行った。『死者』論においては、これまで比較的論じられることの少なかった、この短いが激烈な作品を、死あるいはエロチスムに関する、バタイユの思考のひとつの頂点として読み取ることを提案した。
 さらに、これらの作品が書かれた背後にある、社会学的、宗教的、経済学的な探求についての論考を収める(「エクスターズの探求者Ⅰ,Ⅱ」、「聖なるものと共同体」、「謎を解くこと・謎を生きること」)。バタイユに於けるこうした領域は、断片的にしか言及されることのなかった部分であるが、それを総合的・系統的に分析し提示した。
 収録した論文は、一番古いものは、1998年発表であるが、かなりの変更を加えた。私にとっては、この書物は、バタイユ論の一区切りであるが、次には、バタイユに於ける芸術の問題――それは同時に1945年以後のバタイユの問題でもある――に考察を進めたいと考えている。