表題番号:2006A-931 日付:2007/04/14
研究課題日中プロレタリア文芸・演劇界の交流―陶晶孫と村山知義―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 国際教養学術院 助手 中村 みどり
研究成果概要

 本研究の課題は、従来の陶晶孫研究における30年代のプロレタリア文芸活動の評価、そして20年
代のモダニズム文芸作品に対する評価を踏まえた上で、特にモダニズムからプロレタリア文芸へ向
かう過渡期を、日本の作家・演劇家村山知義との交流から捉えようと試みたものである。
 陶の全集は出版されていないため、上海図書館(2006年8月調査出張)で陶が帰国後直後に作品
を集中的に掲載した文芸誌『楽群』を調べ、また従来知られていない陶の第二の作品集(1930)を
目にすることが出来た。また日本国内では、陶が29年から30年に編集したプロレタリア文芸誌『大
衆文芸』のリプリント版に目を通し、そのほか、同時期の村山の作品を集めた。
 このように29年から1年間を調査対象とし、上記二人の作品の変遷を考察し、これらの資料をも
とに、主に従来正面から論じられていない過渡期の作品を取り上げた。考察を経て、陶が大正期か
ら昭和初期の文芸思潮を受けつつも、モダニズムから完全に脱却せず、モダニズムを交錯させたモ
ダニズム文芸作品の執筆に意欲的に臨んでいたことを明らかにした。また陶が『大衆文芸』で、村
山知義を高く評価し、また29年から30年に村山の作品を集中的に翻訳し、同誌に発表していること
を踏まえ、同様にモダニズムから出発し、プロレタリア演劇の旗手となった村山の作品における思
想、文体と構成の変遷が陶に少なくない影響を与えていることを指摘した。
 これらの考察結果により、従来の陶晶孫研究に欠けていた新たな視点を付与することができた。
また中国文学史においては、中国の初期プロレタリア文学がいかに形成されたかという問題を提出
し、日中関係史においては、大正から昭和にかけての中国人留学生と日本知識人との交流の一面を
具体的に明らかにできると思われる。引き続き、日中戦争期では日本資本で建てられた上海の研究
機関に残った陶が、戦後すぐ国民党から日本統治下にあった台湾大学摂取に派遣された背景を調べ、
日本留学出身者である中国知識人の戦中戦後のあり方について考察してゆきたい。