表題番号:2006A-037
日付:2011/04/08
研究課題明治30年代文学と漱石文学との「読者の期待の地平」取り込み構造の違いに関する研究
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 教育・総合科学学術院 | 教授 | 石原 千秋 |
- 研究成果概要
- 本研究の目的は、明治30年代に流行した小説の表現と、明治40年代に発表された夏目漱石の前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)との表現の質の違いを、「読者の期待の地平」取り込み構造の違いという観点から明らかにするところにある。
そこで本研究では、これまでほとんど行われてこなかった、漱石の「読者の期待の地平」取り込み構造(簡単に言えば、漱石が「読者」のレベルをどのように見積もって書いていたかということである)を明らかにし、それを明治30年代に流行した小説表現と比較することで、漱石の小説表現の到達度と、その独自性を明らかにする方法を採用した。なぜこのような方法が有効なのかといえば、それは文学が「読者」の存在を無視しては成り立たち得ないからである。「読者」が文学表現から何を読み取り、何を読み取れないのかを分析することで、その文学表現の質がある程度測定できると考える。
これにはかなりの困難が予測される。それは、当時の一般の「読者」が小説表現をどう読んだかという直接的な情報がまったくないからである。そこで本研究では、明治期のいわゆる「雑書」と呼ばれる雑多な本(一般の研究者からは、レベルの低さ故に顧みられることのほとんどなかった本)を大量に分析することで、「こういう常識を持っていた「読者」なら、小説表現をこういう風に読んだだろう」と推定する方法を用いた。それを漱石が「読者の期待の地平」として小説表現に取り込んでいったプロセスを明らかにした。
一例を挙げておこう。明治30年代に一世を風靡した女学生小説に小杉天外『魔風恋風』と小栗風葉『青春』がある。これらは、いずれも「上京した女学生」を主人公にしていた。そこで、当時刊行されていた『女子遊学案内』のたぐいを参照すると、当時は「上京した女学生」は「堕落」(性的な堕落)するものと相場が決まっているかのような言説が多かったことがわかる。もちろん、新聞でもそういう言説が女学生に浴びせかかられていた。事実の問題ではなく、そういう言説が「読者」にある「期待の地平」を形成させただろうということが肝心なのである。また、一方では「女学生」に「良妻賢母」の予備軍となれという言説も数多く現れていた。下田歌子のように「自我の撲滅」こそが女子教育の目的だと説く者まで現れたのである。
こうした、「本音」の言説と「建前」の言説とが鬩ぎ合っている状況の中で、おそらく「読者」は「本音」に沿った展開を小説に期待しただろう。すなわち、これらの主人公がどういう風に「堕落」するだろうと「期待」して読んだと思われる。一方、明治40年代に書かれた漱石の『門』では、ヒロインの「お米」は主人公の友人である安井と内縁関係にあるが、女学生だった「お米」はおそらく安井と駆け落ちをしたのだろうと推測される。しかし、漱石はそのことをはっきり書いていない。つまり、明治30年代の小説が「読者の期待の地平」をそのまま小説化しているのに対して、漱石はそれを「利用」して「読者」の想像力を機能させるように書いているのである。ここに、明治30年代の小説と漱石の小説との明らかな表現の質の違いがある。
また、明治期に流行った「学問」に骨相学があるが、明治30年代の小説の登場人物はその容貌の記述を読めば、小説中の役割や性格がわかってしまうものが少なくなかった。しかし、漱石の小説はそういった傾向がかなり弱まっている。あるいは、「骨相学」的なパラダイムを逆手にとって、小説中の役割を演じさせる場合も少なくない。
多くの雑書の分析の結果、こうした小説表現の質の違いがほぼ明らかになった。その中間報告として、雑書の言説と漱石文学との関わりを論じた『百年前の私たち』(講談社現代新書、2007年3月)を刊行した。