表題番号:2005A-867 日付:2006/02/10
研究課題企業の内部統制において自己申告制度が果たす役割をゲーム理論の観点から明らかにする
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 商学学術院 客員助教授(専任扱い) 鈴木 孝則
研究成果概要
1人の能力を超える規模の仕事をする場合、委任関係が有効となる。委託者は1人または複数人の受託者に、事前に決められた範囲内での意思決定(選択)をまかせることによって、所期の目的を達成することができる。しかし、一般に委託者の利害と受託者の利害は一致しないため、委託者は受託者を動機付ける必要がある。動機付けの方法には、受託者がインプットする努力と報酬を関連付ける方法と、受託者がアウトプットする利得と報酬を関連付ける方法がある。前者は検査(あるいは監査、調査、考査など)とよばれることがあり、後者は業績評価とよばれることがある。どちらの方法を使うか、あるいは両方法をどのように併用するかは、委任関係を取り巻く環境条件によって異なろう。環境条件としては、努力および利得の観察可能性、検査コスト、業績情報システムの運用コスト、検査技術の水準、情報システムのノイズ、生産技術の水準、委託者と受託者のリスク態度、選好および効用、受託者の能力、受託者の資産、受託者市場の留保効用などが考えられる。情報の検証可能性(verifiability)は、それが当事者だけでなく(裁判所などの)第三者も観察可能であることと通常定義されるが、検査による動機付けを行うためには投入された努力の水準が検証可能である必要があり、業績評価による動機付けを行うためには産出された利得の水準が検証可能である必要があろう。本論文の目的は、委託者が受託者を検査によって動機付ける場合において、受託者に自身が投入した努力水準を自己申告させることの意義を見いだすことである。
われわれの身の回りには、動機付けを目的とした検査機構の一部として、自己申告手続きを取り入れたものが数多く存在する。公認会計士による財務諸表監査は、投資家が経営者の経営努力を動機付けることを目的とした検査機構とみることができる。そこでは、経営者が投入した努力水準を財務諸表という表現形式で自己申告させ、その報告の真実性を公認会計士に検査(監査)させることで、投資家は、経営者自らがすすんで高水準な経営努力を発揮するよう導いている。金融行政分野における実例として、金融庁による金融検査は、金融監督当局が金融機関の業務努力を動機付けることを目的とした検査機構とみることができる。そこでは、金融機関が投入した努力水準を融資先企業に対する債権の分類という表現形式で自己申告させ、その報告の真実性を金融庁の検査官に検査させることで、金融監督当局は、金融機関自らがすすんで高水準な業務努力を発揮するよう導いている。アメリカにおける自己環境監査報告と環境保護当局による検査は、環境保護当局が企業の汚染低減努力を動機付けることを目的とした検査機構とみることができる。そこでは、企業が排出している有毒あるいは有害物質を自己監査報告書という表現形式で自己申告させ、その報告の真実性を環境保護当局の検査員に検査させることで、環境保護当局は、企業自らがすすんで高水準な汚染低減努力を発揮するよう導いている。刑法においては、犯罪を犯した者に対して自首を認めている。自首した者に対しては捜査(検査)は行われず、罰が軽減されるのが通常である。自首を犯行事実の自己申告ととらえれば、司法当局は、自己申告手続きを伴う検査機構によって、個人が自主的に犯行を思いとどまる努力を発揮することを期待しているものと考えることができる。
このように、社会の随所で自己申告手続きを組み込んだ検査機構が動機付けの手段として利用されているため、自己申告手続きには、(1)検査による動機付けの効率を高め、あるいは(2)動機付けにおける主要な制限を弛めることのできる、本質的な性質が内包されているのではないかと直感される。本論文は、この直感に端を発し、経済モデルの分析を通じて動機付けにおける自己申告の意義を見いだそうとするものである。
本論文の経済モデルは、以下の方針にもとづいて設定される。少ない報酬で受託者から大きな努力を引き出そうとする委託者と、少ない私的コストで委託者から大きな報酬を引き出そうとする受託者の関係を、エイジェンシーモデルにおけるプリンシパルとエイジェントの同時手番ゲームとしてとらえる。プリンシパルの戦略は「努力の有無の検査」の確率分布、エイジェントの戦略は「努力」と「真実報告」の確率分布とする。自己申告手続き導入の特徴は、「努力せず、かつ、これを正直に報告する」という選択肢が可能なことであると考え、この点が強調されるようなモデルとする。具体的には、怠惰を告白するつもりのエイジェントは、怠惰であった証跡を粉飾するインセンティブを持たないであろうから、その場合、プリンシパルはより簡易(低コスト)な検査で正確な結果を得ることができるとする。このように、怠惰を告白するという選択肢の存在を通じて均衡における検査コストの節約が可能となり、これが自己申告手続き導入の意義となるのではないかと期待するのである。
この経済モデルの分析によって得られた本論文の結論は以下のとおりである。まず、エイジェントの期待効用が偽証確率に対して無差別となる要因(これらをαでのβ無差別条件とνでのβ無差別条件とよんでいる)によって、均衡が二種に大別できることを確かめた。そして、νでのβ無差別条件を含む均衡のなかから、プリンシパルにとって最も有利な均衡を求め、これが自己申告のない場合の最適解と一致することを確かめた。このことから、νでのβ無差別条件を含む均衡を導く報酬体系による限り、自己申告手続きの特別な意義を認めることができなかった。一方、プリンシパルが、エイジェントに対してαでのβ無差別条件を含む均衡を導く報酬体系を提示する場合には、(1)自己申告のない場合に達成可能な均衡における期待効用は、自己申告手続きを導入することで(均衡がなくならない限り)凌駕されること、(2)自己申告手続きの導入が原因で均衡が存在しなくなるケースは、検査技術と検査費用がともに相当に低い場合に限られること、したがって、自己申告を生かすためには一定レベルの検査技術が要求される場合があること、(3)自己申告のない場合とは対照的に、プリンシパルが検査資源制約に縛られることなく、検査確率を任意に小さくして、検査コストを節約できること、(4)したがって、自己申告のない場合と対照的に、検査確率が小さいほど期待効用が大きくなること、(5)自己申告がない場合には、ペナルティとして、エイジェントからプリンシパルに対する多額の支払いを要求しなければ達成できないような期待効用を、自己申告手続きを導入することで、ペナルティの最低基準値を正に保ちながら達成できることが示された。