表題番号:2005A-833 日付:2006/03/20
研究課題先進国における新自由主義的政策とコーポレート・ガヴァナンス構造の変容―イタリアと日本を中心に
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 教授 井戸 正伸
研究成果概要
 1990年代以降のコーポレート・ガバナンス改革について、以下のような知見が得られた。
 まず、1990年代に民営化が行われる以前のイタリアのコーポレート・ガバナンスは、以下の特徴を有していた。(1)有力家族がピラミッド型グループなどをつうじて、わずかの株式保有にもかかわらず、多くの上場企業を支配していた、(2)株式市場の規模が小さく、企業にとり株式発行は重要な役割を果たしていなかった、(2)企業の資金調達においてデット・ファイナンスの比率が高いにもかかわらず、銀行は企業のコーポレート・ガバナンスにおいて重要な役割を果たしていなかった。結局、戦後イタリアのコーポレート・ガバナンスは、一応、「インサイダー・モデル」に属するが、家族支配の民間大企業が銀行、株式いずれからのモニタリングからも自由なシステムであった。まさにMelisのいうように、「経営陣が弱く、ブロックホルダー株主が強く、少数株主が護られていない」システムであった。
 1990年代以降、イタリアでは、公企業の膨大な累積赤字、EU統合進展による金融競争の激化、マーストリヒト条約の加盟条件の達成義務、EU指令の遵守義務という客観的状況、そして、それにタンジェントポリと呼ばれる一大政治スキャンダルとそれに続く万年与党キリスト教民主党の解体、イタリア共産党の左翼民主党への転換という政治環境の急変が重なる中で、旧来の公企業中心のイタリア経済のあり方が根本的に見直されるようになった。特に、1990年代以降、実務家政権と中道左派政権が、民営化とコーポレート・ガバナンス改革を積極的に進めてきた。
 まず公企業の民営化が金融部門で始まり(1990年のアマート法)、さらに92年には非金融公企業も民営化され、93年には国家持株省も廃止された。さらに実務家政権であるチャンピ政権では、プローディ、ドラーギ両者の指導の下、急速に民営化が進行した。まず、銀行と企業の分離を定めてきた銀行法が93年に改正された。96年にプローディ政権が成立すると、民営化の動きはさらに活発化し、これにより株式市場が拡大していった。98年には、コーポレート・ガバナンス改革として最も重要な出来事であったドラーギ改革が実現する。これにより、少数株主の保護が図られ、証券取引委員会(Consob)の権限も強化された。また、ベルルスコーニ中道右派政権でも、2003年に重要な改革が行われ、企業は従来のコーポレート・ガバナンス・モデルか、アングロサクソン型の単一取締役会モデルか、あるいはドイツ型の二層構造モデルか、三者のうち一つを選べるようになった。
 よくいわれるようにグローバリゼーションに対して、イタリアはアングロサクソン・モデルの採用によって対応したわけではない。実務家政権、中道左翼政権が行ったイタリア経済の「現代化」の試みは、銀行と企業の信頼関係に特徴付けられるドイツ・モデル(政治学の用語では「調整型市場経済(CME)」)を指向するものだったのである。しかし、この試みは、最近のパルマラット社の粉飾会計発覚から始まるスキャンダルに明らかなように、その成果はいまだ不十分なものである。
 世界的に類例のない大規模な民営化の実行、そしてコーポレート・ガバナンス改革の着実な進展にもかかわらず、今のところ、その結果、イタリア企業のコーポレート・ガバナンスのあり方が大きく変わったとはいえない。たしかに、株式市場時価総額のGDP比は、他のヨーロッパ諸国程度まで上昇した。銀行部門における政府持ち株比率も低下した。しかし、より詳しく見ると、イタリアのコーポレート・ガバナンスは本質的なところで変わっていない。証券・株式市場の発達はいまだ十分ではないし、企業の資金調達パタンも変わっていない。銀行も、企業の株式を大量に保有し、モニタリングの役割を果たす動きはみられない。銀行・企業関係が、従来の敵対的関係から、協力・信頼関係に変化する兆しはない。少数の家族が支配する「ファミリー・キャピタリズム」という側面も変化していない。また政府は、いまだにENI、ENELの最大株主である。 
 以上が、本研究で得られたイタリアにおける1990年代以降のコーポレート・ガバナンス改革の試みとその成果についての結論である。その成果については、短い時間の中でかなりの成果を挙げたと考えるが、時間的にイタリアについての研究を仕上げるので手一杯となってしまい、日本のコーポレート・ガバナンス改革についての研究は現在、まだほとんど手付かずの状態である。次年度に、日本のコーポレート・ガバナンス改革についての研究を行い、イタリアの事例との比較を行う中で、グローバリゼーションとそれへの各国の対応、そして制度変化一般について、より一般的な結論を引き出したいと考えている。