表題番号:2004B-1000 日付:2005/03/23
研究課題敦煌莫高窟隋・唐代の法華経変相図に関する研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 會津八一記念博物館 助手 下野 玲子
研究成果概要
 本研究では、通説で法華経変とされてきた敦煌莫高窟の作品群を再検討してきたが、研究成果として次の二点が挙げられる。
(1)唐代の法華経変相図のうち、私が仏頂尊勝陀羅尼経変相図と判断した4作例を除くと、仏説法図を中心とする構図の盛唐期の作例は1例のみとなる。この1例は窟内の三壁面に展開する大変相図であるが、次の吐蕃支配期以降に定型化する敦煌の法華経変の要素をすでにもっており、それらのプロトタイプとして位置づけられる。なお、本作例は同じ窟内に仏頂尊勝陀羅尼経変、阿弥陀経変が描かれており、法華経と合わせて三者の信仰が密接なものであったことをうかがわせる。
(2)私見によれば、仏頂尊勝陀羅尼経変相図は莫高窟第217窟の8世紀初頭の作品を初見とするが、これは仏陀波利訳『仏頂尊勝陀羅尼経』の本文だけでなく序文が絵画化されているという興味深い作例である。序文の本経信仰拡大に果たした役割はきわめて大きいと考えられるが、その成立については明確でない。そのため、仏頂尊勝陀羅尼経幢から序文成立と信仰状況を探る試みを行なった。本年度の中国現地調査により、従来の報告で最も早期の例という「永昌元年」銘の経幢の一つを実見し得たが、そこには記年銘は確認できなかった。そこで、以前から疑問ではあったが、序文中の「永昌元年」が経幢造立年と誤解された可能性がやはり大きいと考えられる。
 最近、敦煌莫高窟の壁画の主題についての再検討は国内外で盛んに行なわれているが、経変の主題が変わることによって、その成立の背景を問い直す必要があろう。今後も引き続き、経変の成立に関する研究を行なう予定である。特に仏頂尊勝陀羅尼経幢の現物調査を続行し、拓本資料などと合わせて、より詳細な資料から唐代の仏頂尊勝陀羅尼経の信仰形態を考察し、本経典の変相図の成立の背景を明らかにしてゆきたい。なお、(1)と(2)はそれぞれ別個の論文としてまとめたいと考えている。