表題番号:2004A-069 日付:2005/03/25
研究課題中近世転換期における仏教絵画の伝来と移動に関する基礎的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 助手 井上 聡美
研究成果概要
 本研究では、現在出光美術館で所蔵されている「六道絵」について、ここに描かれた十一面観音図像が、中世南都で特徴的に信仰された、十一面観音来迎図を踏襲するものである点を明らかにし、中近世転換期の仏教絵画における図像伝播の一例として、その背景を考察した。
 本作は六幅対の掛幅装で、十四世紀以降多く見られる形式の六道を十王とともに表す作例である。各幅縦一四九・〇糎内外、横八八・〇糎内外の比較的大きな画面に多彩なモチーフが破綻なく構成され、描表装も含め多色を用いて濃彩に仕上げる作画技法には、高い画技を備えた絵師の関与が想定される。また寄進銘や修理銘を記す裏書を備え、中世末期の仏教絵画を考える上で重要な意義を持つ作品である。先行研究において、高野山北西麓に位置する上天野村(現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町)大念仏講旧蔵品で、近代以降は上天野地区の民家にて持ち回りで行われる大念仏講本尊として用いられていた点が明らかにされている。
 本作第四幅には、地獄からの救済者として十一面観音菩薩が描かれているが、六道絵において十一面観音が救済者として描かれる例は少なく、本研究ではこの点に着目した。像容は、南都諸寺を中心に伝来する「十一面観音来迎図」のうち室町期の諸作例に近似する。特に東大寺所蔵「二月堂曼荼羅」において、画面情報から飛来する十一面観音と面貌・服制・彩色において非常に親しく、出光本においても二月堂小観音イメージが投影されていたものではないかと推測した。
 さらに、本作第二幅に描かれた火焔に包まれる大釜から亡者を救い出す地蔵菩薩が、十四世紀の制作とされる矢田寺所蔵「矢田地蔵縁起絵」下巻第二段などに描かれる、矢田地蔵イメージを踏襲するものである点は先行研究でも既に指摘されているが、第四幅に描かれる十一面観音菩薩が、私見のごとく東大寺二月堂小観音のイメージを踏まえたものであるとすれば、本作には、特定の場所における信仰と結びついた図像が少なくとも上記二場面で採用されていることになる。その他、第五幅には山脈越しに瑞雲を伴って影向する阿弥陀如来が描かれており、これは元徳元年(一三二九)の賛文を伴う檀王法林寺所蔵「熊野権現影向図」などに描かれた、熊野本宮本地仏としての阿弥陀如来を想起させる図像でもある。
 以上のように眺めると、本作には、鎌倉末期から室町期にかけて畿内各地で特定の聖地と結びついて成立した諸尊の、図像尽くしの意趣が込められているように思われる。矢田地蔵信仰の聖地である金剛山寺、そして二月堂小観音信仰の聖地である東大寺はいずれも、室町期に当山派修験と関わりがあった寺院であることが知られており、本作が伝来した天野においても、高野山金剛峯寺を通じて修験道当山派との接点があったことは既に指摘されている。本研究では、室町期に興福寺とその末寺を中心に形成された寺院ネットワークが、各地の信仰や仏画間における図像の伝播を促進した側面について指摘し、画面構成の検討から、出光本においてはそれらの信仰が六道絵という枠組みの中に破綻無く構成されている点を明らかにした。