表題番号:2004A-061 日付:2005/03/29
研究課題「人生の意味」概念を中心とした再帰的近代化論の社会学的考察
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 和田 修一
研究成果概要
本研究は「近代化」および「脱近代化」と呼ばれる歴史プロセスにおいて生じた・生じつつある、〈社会の制度的構造(変化)〉と〈価値イデオロギーの構造(変化)〉という2つの事象間の連関を因果的に説明する理論図式を構築することを目的にしている。この研究テーマは社会学において中心的な課題であると指摘されながら、(おそらくは、その難しさのゆえに)たとえばK.マルクスやM.ヴェーバーといった巨星の提示した古典的な社会学理論を大きく転換するような研究成果が必ずしもあがっていない領域である。ほとんど唯一の例外は、J.ハバーマスの「コミュニケーション的行為の理論」である。しかし、ハバーマスの理論は(広い意味での)経済活動と親和的である道具的合理性の価値基準の社会的位置づけを相対化し、それ以外の合理性基準として位置づけられる価値の類型を明らかにする上において優れた成果をあげているが、しかし一方でハバーマスは個人の意識の中で形成される〈合理性への個的指向性〉と全体社会において制度化される際の〈制度化原理としての合理性〉との間に生まれるパラドクスについて論じることがなかった。つまり、道具的合理性と非道具的合理性(ハバーマスの理論では〈コミュニケーション的合理性〉と呼ばれる)の間に生まれるパラドクスが、それらふたつの合理性基準の質的パラドクスから生じるものなのか、あるいはそれ以上に、いわゆる〈個と全体〉問題として概念化される問題構造に起因するかの判断が回避されているように思われるのである。つまり、道具的合理性と非道具的合理性の間のパラドクスは、個としての主体(エイジェント)が追求する道具的合理性と制度化の原理として制度構造の中に組み込まれた社会的次元での道具的合理性との間のパラドクスであるともいえるのである。というのは、個的主体が追求する道具的合理性はその主体の認識論理の全体を覆うものではありえず、彼は非道具的合理性という認識論理との間を行き来するからである。
この理論的問題は、米国と英国から社会学者を招いて5月に開催される研究会の中でさらに深く追求される。