表題番号:2003C-203 日付:2004/03/19
研究課題中国古陶磁器のX線を使った現地での分析と再現実験
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 理工学部 教授 宇田 応之
研究成果概要
今年度前半はサーズ問題が沈静化せず、中国訪問の時期が大幅に遅れ、最初の訪中は12月になってしまった。そのため、全てのスケジュールは後半に集中し、最後の訪中は3月26日から4月8日までとなってしまったので、成果報告というよりも、途中経過と今後の予定と言わざるをえない。
1)第1回訪中

早稲田大学       宇田応之教授
中国科学技術大学    王昌燧(Wang Changsui)教授
復旦大学現代物理研究所 承 生(Cheng Huansheng)教授  
河南省文物考古研究所  孫新民 (Sun Xinmin)所長
            藩   (Pan Weibin)研究員  


2003年12月、上記のメンバーを中心に“中国河南省文物考古研究所の所蔵品を、早稲田大学が開発した世界最新鋭のポータブル型X線分析装置を使って、2004年から分析を開始する”ことで合意に達した。この際、最初の分析は陶磁器とし、ついで青銅器に移行する。また、この共同研究から得られた成果は、まったく新しい形の本にまとめることでも、両者が合意した。その形式は考古学的、美的表現に加えて、科学的データや解釈をわかりやすく記載するもので、これまでこのような形式の本は出版されていない。上記の段階を踏んだ後、遺跡・遺品が大きすぎるため持ち運びできないか、文化財的観点から、その場から動かしてはいけない仏像、壁画など超貴重品のX線分析に移行する。

共同研究の背景

陶磁器とりわけ磁器と青銅器は、中国が世界に誇る文化遺産である。換言すれば、これらは古代中国のハイテク製品ともいえる。一方、陶磁器の生産に用いたロクロは人類初の機械といっても過言でなかろう。さらには、磁器の生産に不可欠な高温技術も中国生まれである。

共同研究の相手の1つ、河南省文物考古研究所は1952年に開所し、河南省を中心に発掘調査を行い、この数十年間輝かしい成果をあげてきた。そしてその発掘品の多くは故宮博物館、河南省博物館などに陳列されている。しかし、各年代の典型的遺品は同研究所の展示室にも陳列されていたり、倉庫に収蔵されていて、考古学的研究に利用されている。ところで、早稲田大学の宇田グループが1999年エジプトで先鞭をつけるまでは、これら収蔵品は勿論のこと、世界中の考古学的遺品の陳列現場や、発掘現場で無傷のままこれら遺品を分析することはできなかった。でも、宇田グループが開発した最新鋭X線分析装置(20003年特許申請)を使えば、河南省文物考古研究所が発掘した遺品を分析することができる。

エジプトやギリシャの遺跡とその出土品は、ヨーロッパ、アメリカの研究者たちによって精力的に調査されている。ただし、遺跡のある現場でではなく、研究室の中での調査・研究に限られてはいるが。ところで、幸いなことに、中国の遺跡はまだ手付かずのところが少なくない。そこに日本の優れた測定器を持ち込めば、世界に誇れるデータがとれる。アジアの遺産はアジア人の手でその謎解きをしてみたい。これが、日中共同研究をはじめるきっかけとなった。

河南省は考古学的には、他に類を見ないほど優れた地域である。省都は鄭州(Zhengzhou)
で、7000年前には既にこの地で、農耕が行われていた。また、6500-4000年前には西アジアあるいはイスラム圏の影響を受けて、この地の周辺で彩陶土器を作る迎 文化(Yangshao Culture)が栄えた。その後、つまり新石器時代の晩期、この地の周辺で黒陶文化、龍山文化が栄えたが、その遺跡、王城崗(Wangchenggang)、平 台(Pinliantai)、 師商城(Yanshi)、二里頭(Erlitou)、鄭州商城(Zhengzhou)なども見つかっている。特に、二里頭は1959年に、 師商城は1983年に河南省文物考古研究所によって発掘されたものである。3500年前には、この地で殷(商)王朝が起こり、500年ほど続き、青銅器文化が開花した。鄭州の西には洛陽(Luoyang)がある。この地はBC 770に東周が都を置いて以来、後漢、魏、西晋、北魏、隋と約1400年の長きにわたり首都あるいは副都として栄えた。白居易(白楽天)の隠棲の地、三国志の登場人物、関羽の廟や仏教伝来後初めてのお寺、白馬寺のある地としても知られている。さらには、北魏の495年から400年かけて作られた龍門石窟もある。この石窟はユネスコの世界遺産にも指定されていて、則天武后をモデルにしたとも言われている磨崖仏をはじめ、10万体もの仏像が岩山の肌に彫られている。また、この地の近くには、唐三彩の作成に携わった遺跡も数多く発掘されている。唐三彩(黄、緑、藍釉)は西アジアとの交易品や副葬品として珍重され、則天武后の時代(~700AD)にその最盛期を迎えた。日本にも当然輸出され、そのイミテイションが作られた。これを日本では奈良三彩と呼ぶことがある。鄭州の東に位置する開封(Kaifeng)は、春秋時代からはじまり北宋、金までの7つの王朝の都として栄えた。そのため、中国6大古都の1つにも数えられている。ところが、この地の周辺には未発掘、未発見の遺跡も数多い。

 景徳鎮に代表される、磁器の産地は河南省よりかなり南に位置する。しかし、その流通域は、中国はもとより、世界各国に広がる。したがって、磁器は河南省の遺跡からも見つかる。磁器の染付け(青色発色)にはコバルトが使われている。このコバルトは唐三彩の発色にも使われていて、原材料は14世紀ころまでは中東から輸入されていた。ただし、彩色した陶磁器は、シルクロードを通して、イスラム圏やその先まで輸出されていた。イランのアルデビル廟、トルコのトプカプ宮殿の青色は14-15世紀に中国から輸出されたものとされている。このように、古代中国製品の追跡から、いろいろな国や地域の文化にも触れることができる。 

河南省の西に位置する秦の始皇帝稜の地下に、460mx400mもの巨大な宮殿が、盗掘なしに眠っていることも最近判ってきた。でも、中国政府はこの地下宮殿は、その保存方法が確立されるまでは、開かないと決めた。その開けるときまでに、われわれは中国遺跡・遺品の分析に十分な実績を積み重ねたい。

以上述べたように河南省周辺は、古代中国遺跡の宝庫なのである。そして、この宝庫を開けつつあるのが、河南省文物考古研究所である。だからこの研究所との共同研究は、世界に誇れる研究成果を出せることは間違いない。

今日、日本・中国の外交関係は必ずしも良好とはいえない。でも、外交に際しての、相互理解というバックグラウンドを高めるためには、両国間の文化交流は不可欠である。いや、これこそが両国がお互い尊敬しあいながら、お付き合いを続ける最良の方法であろう。日本側は中国の古代文明に敬意を表し、古代遺跡や遺品に関する蓄積された知見を尊重する。一方中国は日本の高い技術力と測定データの解析力を頼りにする。そして、得られた結果を世界に向け両国共同で発信する。こんな関係が続けば、両国間の関係は、目には見えない深いところで、心と心を触れ合いさせながら改善していくものと信ずる。

エジプト、ギリシャでの研究実績

エジプトの遺跡や遺品の分析は1987年以来続けられ、数々の実績を残してきた。これらの果は、学術論文にまとめられているとともに、国際会議でも発表され、さらには、数多くの招待講演の依頼も受けた。また、ルクソールにあるアメンホテップIII世墓の壁画調査をユネスコから依頼され、その報告書も作った。目下印刷中である。

ギリシャでの調査は2003年から開始した。今年はアテネでオリンピックが開催されるため、次期調査は本年9月以降となる。

以上が本共同研究を開始した背景である。なお、この共同研究はこの特定課題研究が終了後もつずけることで、両国関係者間で合意に達している。