表題番号:2003A-842 日付:2011/04/04
研究課題明治文学における性的表象の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育学部 教授 石原 千秋
研究成果概要
 本研究は「読者」というファクターを加えた上で、明治40年当時の文学における性的表象のあり方を明らかにするところにある。具体的には夏目漱石『虞美人草』の性的表象を同時代的言説によって意味づける。
 その前提として明治36年にベストセラーとなった小杉天外『魔風恋風』と明治39年にベストセラーとなった小栗風葉『青春』について考察した。この二つの小説がベストセラーとなったのには、明治30年代に急増した女学生へのジャーナリズムによるバッシングが背景にあったと考えられる。正岡芸陽『理想の女学生』(明治36年)、松原岩五郎『女学生の栞』(同)などによっても確認できるように、当時は女学生にあっても「学問」は「よき妻」になるためのものであったので、そこからはずれた生き方を選択しようとすれば「堕落女学生」と呼ばれるしかなかったのである。その結果、『魔風恋風』では「読者の期待の地平」は「堕落するか否か」ではなく「どのように堕落するか」という形で構成されたし、『青春』では「読者の期待の地平」に答えるために、主人公の女学生は自立と引き替えに取り返しの着かない不幸を背負い込むことになるような結末が用意された。
 最近の研究で、『虞美人草』は『青春』を意識してかかれたことが明らかにされている。主人公藤尾は女学生ではないが、英語を学ぶ「新しい女」であり、「読者の期待の地平」も女学生への関心の延長線上に構成されたと考えられる。しかし、『虞美人草』では藤尾は自らセクシュアリティーを操作する主体、見られる女ではなく見る女として描かれている。ところが作者漱石は当時の平均的な「読者の期待の地平」を共有していたために、「父」の代理人が藤尾を自殺に追い込む結末しか用意できなかった。その意味で、『虞美人草』は『青春』と「読むことのセクシュアリティー」において通底するものがあるが、それはこの時期の性的表象である「女学生」=「学ぶ女」への嫌悪がかくのごとき「読者の期待の地平」を構成したというのが、現段階での結論である。