表題番号:2003A-840 日付:2005/03/24
研究課題室町時代書写奥書を有する『太平記』諸本の研究―吉川家本を中心に―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 助手 和田 琢磨
研究成果概要
 永禄六年~八年の奥書を有する吉川元春書写本『太平記』(以下、吉川家本『太平記』)は、現在、山口県岩国市の吉川史料館の所蔵となっている。この本は、書写者と書写年時が明らかな中世の写本であり、また、本文の性格も特徴的であることから注目されてきたが、本文検討・作品世界の追究など、まだ検討しなくてはならない課題が多く残されている。特に最近では、毛利・吉川家周辺に複数の『太平記』伝本が存在していたことが具体的に明らかにされてきたことから、室町時代の武将の『太平記』享受を具体的に知る上でも吉川家本の詳細な検討は再度なされるべきであると考えられる。
 このような状況をふまえた上で、吉川家本の考察に取り組んでいるのであるが、本年は主に本文の性格を文献学的方法によって整理することに主眼をおいた。すなわち、吉川史料館に赴き原本を調査・書誌を整理したほか、本文の校合から諸本間における吉川家本の位置を探ることを試みた。この作業は完了したわけではないが、これまでの調査に於いても、いくつか注目・検討すべき問題点も見つかった。例えば巻二十一「塩冶判官讒死事」は諸本間でもっとも移動が激しい箇所の一つであるが、吉川家本の当該箇所の位置づけは再考の必要があるように思われる。従来、吉川家本は古態本の一つである西源院本本文が形成される過程の姿を残したものといわれてきた。しかしながら最近、吉川家本の兄弟本と位置づけられる國學院大學蔵益田本の調査からこの説を見直す見解が出され、私も同様の結論に至った。そこで私なりの視点から後者の説を補強し、さらには次のような私見も加えるつもりである。すなわち、吉川家本は西源院本と他本の混合本文と考えられ、しかも、西源院本と極めて近い部分にも、現存西源院本にはなくその兄弟本と思しき伝本の詞章を引き継いでいるというものである。この成果の一部は近いうちに報告するつもりである。
 今年度の成果は大略以上のようにまとめられるが、今後とも諸本を広く見渡しつつ本文検討を続け、さらには作品を読み込むことから、吉川元春と同じ『太平記』の世界を解明し、室町時代の武将の『太平記』世界を追求していきたい。