表題番号:2003A-826 日付:2004/03/17
研究課題日本民俗学の組織化に関する基礎的研究―「橋浦泰雄関係文書」を中心に―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 専任講師 鶴見 太郎
研究成果概要
 一九三〇年代中葉にはじまり、敗戦直後まで続く柳田国男の民俗学の組織化は、後の時代からしばしば、「一将功成万骨枯」(岡正雄)と評されてきた。
 しかしこの言葉が一人歩きした結果、当該時期における丹念な資料考証がなされることなく、この位置付けが定着した観がある。本研究は、戦時下の「民間伝承の会」事務局を担った橋浦泰雄(1888~1979)が遺した資料を仔細に検討することによって、こうした位置付けに対して下記に列挙した修正を迫るものである。

(1)一九三五年八月の「民間伝承の会」設立時にあって、その組織方針については各郷土に既に自生していた郷土研究会を尊重し、それらを横から緩やかに繋ぐという案が採用された。そして一部に合った地方支部を設置して、中央からの強い指導下に置こういう案は排された。戦時下における各地の郷土研究者から「民間伝承の会」に宛てられた採集報告を含む夥しい書簡は、そうした信頼関係に基づくものである。

(2)この方法に基づく組織は、戦時下の言論・思想統制下にあって事実と経験を基調とする柳田民俗学の学風を守る、という点で政治的な立場を超えた稀有のネットワークを保つこととなる。一九四四年に計画された柳田の「古希記念事業」は、そこに集った人員の多彩さにおいて、その集大成ともいうべき位置を占める。

(3)しかしながら、こうした人的ネットワークは敗戦にともなう思想統制の消失という事態によって、単に柳田の学風と方法を守るという部分のみが突出していくこととなった結果、半ば個人崇拝ともいうべき現象が生まれる。したがって先行研究が強調する柳田民俗学の「悪しき」体制化は、むしろ戦後にある。