表題番号:2003A-534 日付:2005/03/14
研究課題多雪環境に生息する森林低層常緑植物のコスト・利益から見た適応の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育・総合科学学術院 教授 伊野 良夫
研究成果概要
 本州日本海側の山地帯では冬季に多量の雪が降り、ブナ林下の常緑植物は長期にわたって雪に埋もれる。これら常緑低木の中には太平洋側に近縁種をもつものも多く、それらは雪に埋もれない。日本海側山地に多雪環境が生じてから1万年もたたないことから、日本海側山地に分布する種が多雪環境に適応して分化したと考えられる。
 一般的に、多雪環境への適応は小型化、匍匐型、不定根による繁殖などが特徴とされてきた。これらは外部形態の観察によるものである。機能面からの適応の検討は少なかった。我々は1990年代から、多雪環境への適応を太平洋側に分布する近縁種と比較することで検討してきた。
 研究は新潟県松代町で行った。この地域では12月下旬に根雪となり、地表面に設置した光センサーは積雪のために光を感知しなくなる。この状態は4月下旬まで続くので、1年のおよそ1/3の期間、植物は物質生産を行うことができない。この期間の地表面温度は-0.16℃であり、低温によって、呼吸活性が低下しているとしても物質消費は行われている。このような環境にある植物にとって、生存のみの期間はできるだけ物質消費(コスト)を削減し、光合成期間に多くの物質生産(ベネフィット)を行うことが、よい生存戦略である。
 本研究では、積雪下での呼吸と夏季の光斑に対する光合成特性から対象種の環境適応を検討した。
 対象種はエゾユズリハ、ヒメアオキ、ユキツバキで、いずれもブナ林下に生育する常緑低木である。物質消費に関して、3種の当年葉、1年葉、当年茎、1年茎の25,15,5℃における呼吸速度を季節的に測定した。光合成関連では1年生葉のクロロフィルaとb濃度とクロロフィル蛍光を測定した。
 ユキツバキでは、いずれの器官も呼吸速度の季節変動は他種よりも小さく、年間を通して大きな変動はなかった。ヒメアオキは雪に埋もれる前の12月には葉も茎も呼吸速度は高かった。雪から出た4月には葉のみ特に高かった。積雪下ではユキツバキと同程度の呼吸速度であった。エゾユズリハは1月と2月、4月に他の月よりも呼吸速度は高く、それらは他2種の呼吸速度より著しく高かった。これらの結果は Ino et al. (2003)に述べた結果と一致した。この論文では貯蔵炭水化物量、夏の初めの光合成速度などから、エゾユズリハの冬季の高い呼吸速度は光合成系を積雪下で維持するためのものと推測した。暗黒下でも、クロロフィルや酵素の自己分解が生じる。この分解を阻止する、あるいは新しく酵素や色素をつくることにコストが必要である。
 ヒメアオキとユキツバキでは、クロロフィルa量は雪解け直後の5月のみ低く、以後は2.5~3mg/cm2の範囲にあった。b量は5月にわずかに他の月より高く、他の月はほぼ1mg/cm2であった。エゾユズリハでは、a量は他2種と異なり、雪解け直後で3mg/cm2と他の月よりも高かった。5月のb量はほぼ5mg/cm2で他の月より著しく高く、6月からは他2種とほぼ同じ1mg/cm2であった。その結果、エゾユズリハの5月のクロロフィルa/b比は他2種の2倍以上であった。5月の高いクロロフィル濃度は冬季の高い呼吸速度との関連を推測させる。
 夏季はブナ林冠が閉じ、林床は著しい弱光環境になる。林冠の隙間から太陽光が入射し、林床で光斑となる。光斑はゆっくりと林床を移動するが、その光強度は背景の100倍にも達する。そのような強光は光合成にとって有効であるが、強光に当たると林床植物の葉は強光阻害を起こし、光合成系が損傷する可能性がある。軽い損傷は自己修復されるが、重大な損傷になると葉は枯死する。強光が当たったときの損傷の程度と回復をクロロフィルからの蛍光を測定することによって知ることができる。1年葉を熱害を防ぐために、水中に置き、1000μmol/cm2/secの光を2時間照射した。この光強度はほぼ光斑の光強度に等しい。この光照射では強光阻害が起こるものの、時間とともに回復した。それらの葉のクロロフィル蛍光の測定結果から、ユキツバキでは7月と12月に他2種より大きな阻害を受ける可能性があることが推測された。ヒメアオキとエゾユズリハでは8月のみに他月より大きな阻害が認められた。この月には光斑の利用が不可能であることを推測させる。林床に光斑が入射するのは6月から9月である。ユキツバキは阻害の程度が他種よりもわずかに大きいにもかかわらず、順調に回復した。ユキツバキの気孔の光応答は遅いことから、特に8月には光斑を他2種より有効に利用していることが示唆された。