表題番号:2003A-528 日付:2005/03/24
研究課題近世芸能の地方伝播比較とデジタルアーカイブ構築研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 助教授 和田 修
研究成果概要
 2003年度は主として九州の風流芸能の分布状況の把握と、伝承地の調査に重点を置いて研究を進めた。8月の旧盆時期にトカラ列島十島村悪石島の盆踊、鹿児島県坊津町久志の太鼓踊、同県加治木町の太鼓踊、9月に同県与論町の十五夜踊を調査した。
 悪石島の盆踊は、元禄17年刊行の『落葉集』所収の踊歌と一致するものがあり、古い時期に都から伝来した歌謡であることがわかる。さらにその歌謡が、わずかながら長崎県対馬の盆踊歌とも一致するものがあり、両者に直接的な関係があるとは思われないので、中央の歌謡が長崎や鹿児島の離島にまで伝播し、他では失われてしまった後も、今日まで伝承されてきたと考えることができる。近世の都市の盆踊について、こうした伝播の関係は従来ほとんど知られておらず、きわめて珍しい例であるといえよう。
 加治木町の太鼓踊については、近世中期の文献が残っており、現在までの変遷を知ることができる。近世中期には文弥節を踊歌として取り入れるなど、当時の流行歌の摂取につとめており、新奇な趣向を競っていたことが明らかである。薩摩藩では近世中期まで藩外からの文化の流入を拒む傾向にあったといわれることが多いが、先端的な文化を求める欲求が庶民の中に根強かったことが知られる。
 与論町の十五夜踊は、琉球にも共通する豊年祭の形式の中に、狂言「末広かり」、元禄歌舞伎に関連のある「大隈川」、野郎歌舞伎風の「頼朝公」などが伝承されており、従来からヤマトの芸能との関連を示すものとして注目されている。これが中央と直接の関係を示すのか、薩摩藩からの伝来なのかは、あまりにも伝承が退化していて判然としない。
 このように、調査対象の芸能は、いずれも都市芸能の地方伝播を検討する上で、極めて興味深い事例を提供してくれている。今後はさらに文献資料の調査と合わせて、伝播の時期や経路の把握に努めたい。
 なお、2004年度は科学研究費採択のため特定課題としては廃止した。