表題番号:2003A-519 日付:2005/03/31
研究課題神聖ローマ帝国改革と帝国都市フランクフルト・アム・マイン
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学学術院 教授 小倉 欣一
研究成果概要
神聖ローマ帝国改革は、ドイツ中世・近世国制史研究の焦眉の論題であり、本研究は都市史の視点から新たな知見を求めるものである。13世紀の大空位時代以後、皇帝・国王は、聖俗諸侯、中・下級貴族、帝国都市と抗争しつつ、ラント平和の盟約を重ねた。皇帝マクシミリアン1世は1495年ウォルムス帝国会議で譲歩し、永久ラント平和令,帝国最高法院,平和と法の司掌,帝国一般税を承認し、帝国改革は進展した。とりわけ帝国最高法院は国王の親裁する王室裁判所を変革し、諸侯が優位に立ち、スタッフの半数を専門法曹から任官する新機関であり、帝国都市フランクフルト・アム・マインに設置されたが、1半後に早くもウォルムスに移転した。その事由は、まだ十分に解明されていない。
わたくしは、この問題こそ帝国と帝国都市の関係に注目し、帝国改革の実状を究明しうる事件であると考え、フランクフルト大学および市立都市史研究所(文書館)に赴き、ドイツ側研究者の助言と助力をえて、2001,2002年の予備調査の後、2003-2004年度の本特定課題に採用され、本格的に参事会議事録をはじめ、公刊・未公刊の史料・文献を収集し、解読にあたった。現在の成果として、ラント平和はこの名高い大市都市にとっても商業交易上の要件であるが、帝国枢要機関は帝国都市の自由と自治を侵すおそれがあり、しかも財源不足から裁判官と職員の給与の遅配、欠配が続いてその運営が困難となり、都市当局や市民に援助が要請され、悪評であった。他方でウォルムスは、司教の都市支配から解放されるため、帝国との緊密な結びつきを求めてその移転を歓迎し、皇帝もそれを望んだと、いえよう。その研究の過程で、近世帝国国制の確立を30年戦争期まで探求する必要を痛感し、フランクフルトでは16世紀の宗教改革と、シュパイアーに再移転した帝国最高法院でマインツ大司教と争った宗教改革訴訟、17世紀にはマティアスの皇帝選出と戴冠を契機とした大規模な市民反乱(フェットミルヒ反乱)と、皇帝権力の介入によるその鎮圧の事情を立ち入って調査できるよう、2004年度には改めてその史料・文献の収集をあわせ行い、その解明を始めており、これらの成果をもまとめて公表したい。