表題番号:2003A-030 日付:2004/04/11
研究課題北部スレースヴィの帰属を問う住民投票とその北欧諸国・ドイツによる評価の比較研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 村井 誠人
研究成果概要
 北部スレースヴィ(シュレースヴィッヒ)の帰属を問う住民投票は、2つの住民投票地区に分けられて、1920年2月10日と3月14日に行なわれた。その結果、第1投票地区に振り当てられた北部スレースヴィはデンマーク票が75パーセントの得票を得てデンマークに復帰し、第2投票地区に振り当てられた中部スレースヴィでは、そのうちのいかなるコミューンもデンマーク票が過半数を占めることなく、その地域全体がドイツに残留することになった。
 第1次世界大戦の敗戦国ドイツの国境地帯は、オランダ・スイス・オーストリアと接する以外の地域では、エルザス=ロートリンゲンやポーランド回廊のように帰属を問う住民投票などを経ることなく、「歴史的根拠」を理由に外国領土になっていった地、国際連盟の監視のもとで国際管理地域となっていった地、住民投票によって帰属が問われ、その結果として外国領土となった地・ドイツに残留した地と、どこをとっても深刻な問題が横たわる状況にあった。そして、講和会議において敗戦国ドイツからその領土を一部奪うことで、周辺国が自国領土の青写真を示したことに対し、ドイツ側がその地の住民に帰属の意思を聞くように要求したことから「住民投票」が実施される道が開かれたのである。この住民投票地域の設定の経緯において、大戦を中立国としてやり過ごしたデンマークは、きわめて特異な、そしていわば「隠密的」ともいえる外交的行動を貫く形で、そのほかの住民投票地域のなかに北部スレースヴィ問題を滑り込ますことに成功している。1864年以来の「イルレデンティズモ」的問題をドイツの敗北を機に解決を図ったのである。
 本研究課題は、この歴史的事情を、デンマークではその状況においていわば「主役」として行動した当事者が、デンマークの歴史学界に多大な影響力を持っていた一大学教授であって、彼の影響下で歴史叙述のモノポリー的状況の中で「同時代史」が編纂されている状況に、デンマーク国内、北欧諸国内、そしてドイツ内での歴史叙述がいかなるものであったかを、比較検討するものである。
 デンマーク国内では、叙述上のモノポリー現象が見事に成功し、北欧諸国でもデンマークの状況を受けて同様であったが、ドイツにおいては、1918年当時の国境設定交渉にかかわる当事者および周辺者に対する批判から、かなり異なる状況が見受けられる。