表題番号:2002B-019 日付:2004/02/23
研究課題ヘテロアトムの特性を活かしたチイルラジカルを経るバイオミメティック反応の開発
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 理工学部 教授 多田 愈
(連携研究者) 理工学総合研究センター 客員教授(専任扱い) 秋葉 欣哉
研究成果概要
 チイルラジカルは活性化されたC-H結合から水素引き抜きを起こすが、この反応は逆反応がはるかに速く、これはSH/CH結合エネルギーから考えて当然である。一方、炭素ラジカル(R・)によるSHからの水素引き抜き反応はR-Hが活性酸素などで傷ついた核酸、蛋白などの生体分子の“修復反応”として知られており、チオール種としてはcysteine残基が考えられている。ところがチイルラジカルによる水素引き抜きが鍵反応となる酵素反応として ribonucleotide reductase (RNR) の反応があり、これは熱力学的に不利な水素引き抜き過程で開始される反応として興味深い。上述したようにチイルラジカルによる水素引き抜き反応は不利な反応であるにもかかわらず、生成すすR・が逆反応に拮抗できる位の速度で他の化学種に変化して系から除かれればR-Hのチイルラジカルによる分子変換が可能になると考えて以下の研究を行った。        
                    
 まず、中間体ラジカルが安定で逆反応が遅く、ピナコール生成が逆水素移動に拮抗する系としてBenzyl-OTBSエーテルのチイルラジカルによる水素引き抜き反応を行った。ここで、チイルラジカルはジスルフィド類の光開裂(で発生させた。(MeS)2の反応性が高く、芳香族ジスルフィドは反応性を示さなかった。注目されるのはC6F5S・の示す高い反応性である。この場合、ピナコール体のほかに、酸化生成物であるαーhydroxy体を与えることである。このことは次式の1電子移動過程が中間体ラジカルの有効な除去機構として働いていることを示している。

    R・ +  (R'S)2 → R(+)  +  R'S(-) + R'S・

 つぎに、2-phenyl-1,3-dioxane類のチイルラジカルによる水素引き抜きを行った。ここで注目すべき点は4,4-dimethyl体から出発しても、5,5-dimethyl体から出発しても酸化生成物ω-oxipropylbenzoateが生成することである。 これら酸化物の生成はジスルフィドが酸化剤として働いていることを示している。酸化生成物の酸素源であるが、冷凍脱気を繰り返しても生成物に変化が見られず、積極的に溶媒を湿らすと酸化物の生成が促進されることから反応液中の水分子に由来することが分る。また、注目すべき点として5,5-dimethyl-2-phenyl-1,3-dioxaneからは水素引き抜き生成物は全く生成せず、酸化体のみが生成することである。一方、メチルチイルラジカルによる4,4-dimethyl-2-phenyl-1,3-dioxaneからの水素引抜では水素引き抜き体である(3-methylbutyl)benzoateが主生成物となり、C6F5Sラジカルによる反応では酸化物が主生成物となる。すなわち、C6F5S・を用いた場合、ジスルフィドへの一電子移動(SET)が、(a) (MeS)2では遅く、(C6F5S)2では速い、(b) ラジカル中間体の開環よりもSETが速い、(c) 4,4-dimethyl体のラジカル開環速度は5,5-dimethyl体より早いと考えれば理解できる。これらのことからC6F5S・は有効な水素引き抜き剤であり、かつ(C6F5S)2は有効な電子受容体であることが分る.

つぎにチイルラジカルに及ぼす水素結合の効果について検討した。(MeS)2を用いた4,4-dimethyldioxane体の反応系にCH3(CF3)2COH (A), (CF3)2CHOH (B), (CF3)2C(OH)2 (C)をそれぞれ添加してその効果をみた。その結果、ピナコールの生成に対してAは影響を与えず、B(0.5mol/l)の添加ではその収率は62.5%から27.6%へと減少し,Cの添加では大きな影響が現れ、0.5 mol/lの添加でピナコール体は全く生成しなくなった。一方、酸化物が主生成物となる(C6F5S)2を用いた反応ではCの添加によりその収率は44.2%(無添加)→60.5%(C,0.5 mol/l)と向上した。このことはCの水素結合がジスルフィドへのSET段階でも影響していることを示している。したがってCはチイルラジカルに水素結合してその水素引き抜きを阻害し、またジスルフィドへも水素結合し,その電子受容能を高めると考えられる。

以上纏めると、(a) チイルラジカルの水素引き抜き能は本質的には生成するS-H結合の強さに依存する、(b) 電子吸引性置換基をもつジスルフィドは有効な1電子受容体である、(c) 水素結合はチイルラジカルの水素引き抜き能を減少させ、ジスルフィドの電子受容性を高める。
 このような観点から(C6F5S)2はチイルラジカル源としても電子受容体としても特異な存在であり、これを用いて新たな有機反応の発見が期待される。